前回は日本が6年半ぶりに実施した外国為替市場での介入を取り上げた。その時に述べたようにこの介入は当初狙った効果はあった。今回は“その後”も含めて、「介入の種類」と「介入の抱える問題点」、「効果の持続性」などに関して書きたいと思う。
多様な介入の形
介入に関してはいろいろな言葉が使われる。「大規模介入」といえば、市場での相場の方向を大きく変えるような規模(市場の通常の取引量に比して)の資金を投じての介入ということだし、「アナウンスメント効果を狙った介入」といえば、介入と同時、または少なくともその日の2、3日以内に「介入した」と担当大臣などがマスコミに向かって明言するケースである。これは公表することによって市場に介入に対する警戒感(安易にポジションを逆方向には張れないという)、恐れ(損するかもしれないという)を抱かせることによって効果を高めようというものである。
これとは逆のスタイルとして「覆面介入」というのもある。まるで通常の商業玉(貿易など商売を背景とする玉)とか投資玉(投資に関連した玉)であるかのような雰囲気を漂わせながら、市場のトレンドが当局の狙いと反対の方向に行ったときに、「介入しました」と宣言せずに介入することである。市場参加者を疑心暗鬼にする効果がある。
普通、介入は外為免許を持つ銀行を介して行われる。日本には介入指定行制度というのがあって、日本銀行から見て日常的に取扱高が多く、「この銀行を通じたら介入玉の処理や秘密保持ができる」と思った銀行をあらかじめリストアップ、契約しておく。そして日銀の為替課の担当者から銀行のディーリング・ルームの担当者に、売りや買いの量などが指示されることによって介入が行われる。介入指定行は公表されていない。
もっとも、銀行を通じることなく、市場に直接「日本銀行」の名義で売り買いのオーダーを出すこともある。その仲介をするのは従来だったらブローカーだから、そのブローカーから取引の相手が日銀だったりニューヨーク連銀だったりしたら、「介入玉とぶつかった」と銀行サイドが驚くという次第だ。これは一種のアナウンスメント効果を持つ。銀行はそのお客さんに、取引相手が中央銀行だったとカスタマー・ディーラー(対顧ディーラー)を通じて伝えるのが普通であるからだ。自らが介入行かどうかは公言してはならないが、ブローカーで中央銀行と当たったら中央銀行サイドも「それを宣伝したいのだな」と考えるのが自然である。
単独か協調か
介入の種類でいつも一番大きな問題にされるのは、「単独介入」か「協調介入」かということである。単独介入とは読んで字のごとく、例えば日本の通貨当局だけが介入を行うものである。ドル・円相場が83円より円高になった際に日銀が9月15日に行ったのは、日本の通貨当局だけの単独介入だった。
これに対して「協調介入」とは、日本と米国、日本と欧州各国などの組み合わせで、複数の通貨当局が“足並みをそろえて”行う介入の事を指す。1973年から始まった変動相場制の歴史の中では、後々語り草になるような協調介入が数多く行われてきた。例えば1985年のプラザ合意の後には、ドルを安くするための協調介入が米国、日本、欧州各国の通貨当局の足並みがそろう形で行われた。むろん、「協調」の範囲内で各国の独自性は発揮される。例えば日本の通貨当局が介入を行うのはアジアが昼間の時間帯が多いし、日本の通貨当局の介入は事前に契約を結んでいる介入指定行を通じて行われる。対して欧州当局の介入は欧州各国が昼間の時間に、欧州各国の銀行を通じて行われるし、米国の通貨当局の介入は米国が昼間の時間に、米国の銀行を通じて行われることもある。これとは別に、各国の中銀は別の中銀に介入を委託することもできる。これを「委託介入」と呼ぶ。
「単独」と「協調」では、介入効果に差が出ることが多い。単独は意志が一つであり、介入玉の出所も元を正せば一カ所だ。世界の外国為替市場はほぼ24時間連続的に行われている。よって、ある中央銀行が世界の市場を見張って必要なときに、機敏に介入をいつまでも続けることは容易ではないし、それがあまり続くと「為替を操作している」と批判も出る。従って通常、市場の方も“当局の意志”を弱々しく感じ、「続かないのでは?」と考える傾向がある。
これに対して「協調介入」は、主要各国の中央銀行の意志が一つの方向、例えばドル安抑制、円高阻止で固まっているという証であるから、当局の意志を市場は強く感じることになる。この“当局の意志”は重要である。市場参加者はいつも「損益」や「損切りライン」を抱えているので、短期的な損得を無視して動ける中央銀行の意志に対しては、敬意と恐怖の念を抱かざるを得ない。9月の日本の介入時にも、円高を信じてポジションを張っていたヘッジファンドの中に大きな損失を出したファンドが出たという。介入はしばしば市場参加者にとって恐ろしい存在だ。市場トレンドを暴力的に変えることのできる介入は、市場参加者にとっては常に警戒の対象なのである。
そういう意味では、介入は効果を強く出そう、持続させようとすれば「協調介入」の方が望ましい。しかし、「気持ちは分かるが、国内政治情勢などで一緒にはできない」という国が多い場合もある。9月の日本もそうだった。円が不当に買われすぎているというのは衆目の一致するところだった。しかし今は各国とも輸出促進やデフレ傾向の抑制の為に安い自国通貨が欲しい。とすると、日本の円安の為の介入には参加できない、ということになった。
“のみ”では薄い効果
「単独」「協調」の差はあっても、介入には昔から一つの原則がある。それは、ファンダメンタルズで正当化されない介入の効果は短期的で弱い、ということだ。なぜなら、外国為替市場の規模は膨大であって、中央銀行が束になってかかってもこの市場の膨大な取引量を長期にわたってコントロールすることは無理だからだ。
例えば、ドル・円の為替取引量は「一日当たり5860億ドルに達する」(BISなど国際機関の調査)に上ると言われている。これに対して日本が9月15日に行った単独介入は当初の推定によれば「24億ドル前後」(市場関係者)とされる。介入額だけ聞くと大きいが、全体の中ではいかに小さいが分かるだろう。これを協調介入でやったとしても、一日のドル・円為替取引量のほんの一部を介入が動かすだけである。
ファンダメンタルズとは「基礎的な経済諸条件」と訳されるときもあるが、為替市場の観点からすれば貿易、投資など基本的な経済・投資活動に関わる取引の量と方向を指す。その基本的な方向と合わない方向で介入を行っても、その影響の持続は難しい、というのが変動相場制始まって以来の知恵である。なぜなら、介入には予算措置や国内、国際的な批判など様々な制約要因があるからだ。それを体力頼みで動かそうとしても限界がある。実際のところ、9月の日本の介入は83円より円高になる段階で行われたが、単独の、かつその日だけの介入だったと思われているだけに、持続性は弱かった。
無論日銀は「ファンダメンタルズを変えよう」と努力もしている。10月5日に実質的に「ゼロ金利政策」を復活させた。しかし、もともと低い日銀の金利をさらに下げても、あまり効果はなく、市場は米国の「金融緩和」の方を気にして、ドル・円相場をこの原稿を書いている時点では82円台に円高誘導した。そういう意味では、9月の日本の介入は、ドル・円相場を一時は86円に近いところにまで持って行ったという意味で成功だったが、その後の相場の動きを勘案すると「効果は短期的だった」ということになる。
次回は「介入につきものの問題点」を取り上げる。