貨幣供給量とインフレ期待にまつわる2つの理論
「リフレ政策」とは、中央銀行が世の中に出回るお金の量を増やし、人々のインフレ期待を高めることでデフレ脱却を図ろうとする金融政策のこと。リフレは「リフレーション」(通貨再膨張)の略称です。黒田東彦新総裁のもと、異次元の金融緩和を通じて2年間で年率2%の物価上昇率を目指す現在の日銀も、基本的にはこのスタンスにあります。
リフレ政策の理論的ベースとなっているのが、「貨幣数量説」と「フィッシャー方程式」です。貨幣数量説では『貨幣供給量×流通速度=物価×実質GDP(国内総生産)』という式をもとに、世の中に出回るお金の量を増やせば物価は上がると考えます。18世紀からあった古典的な理論を、米国の経済学者ミルトン・フリードマンが再評価し、1970年代から先進国が金融政策に取り入れるようになりました。
ただし、貨幣数量説の式が成り立つためには、お金の流通速度と実質GDPが一定でなければなりません。現実には貨幣の滞留などによって流通速度が変化するため、貨幣供給量の増大が必ずしも物価上昇をもたらすとは限らないという指摘もあります。
フィッシャー方程式は米国の経済学者アーヴィング・フィッシャーが1930年に唱えた理論で、『実質金利=名目金利-期待インフレ率』で表されます。この式を変換すると『名目金利=実質金利+期待インフレ率』となり、名目金利が一定ならば、期待インフレ率を高めることが実質金利の低下につながります。実質金利が下がることで、個人消費や企業の設備投資などが促進されるため、物価上昇や景気回復、すなわちデフレ脱却へ向かうと考えられるわけです。
日銀は異次元の金融緩和にあたって、2年間で年率2%のインフレ目標を導入し、デフレ脱却の達成にコミット(約束)しました。そこには貨幣供給量の増大がたとえ今すぐに物価を上げる効果を持たなくても、インフレ期待が持続的に醸成されていけば、期待インフレ率の上昇を通じて実質金利を下げる効果が得られ、経済活動を活性化できるという狙いがあります。これはまさしく、貨幣数量説にフィッシャー方程式のインフレ期待理論を組み込んだ考え方といえるでしょう。
供給されたお金は必ず消費や投資に回るのか?
リフレ政策の理論的な背景を、もう少し分かりやすい形でとらえ直してみます。貨幣数量説の前提になっているのは、「供給されたお金はいずれ必ず消費や投資に回る」という考え方です。お金の量が足りないから人々はお金を使わずに貯蓄するのであり、中央銀行がお金をどんどん刷って人々に十分行き渡るようにすれば、消費も投資も増えて需要不足は解消し、物価上昇や景気回復が実現する――といった理屈です。
フィッシャー方程式では当然のことながら、いかにして人々の期待インフレ率を高めるかが大きなポイントになります。その手段として有効と考えられているのが、インフレ目標などのいわゆるアナウンス効果です。中央銀行や政府が、自らが掲げたインフレ目標に達するまで金融緩和を続けることを宣言し、いわば人々に「近い将来インフレになる」と信じ込ませることで、実質金利の低下および消費や投資の前倒しを誘発するわけです。
ここで重要なのは、人々がたとえ近い将来のインフレを信じた(期待インフレ率が上昇)としても、供給されたお金が本当に消費や投資に回っていき、商品やサービスなどの物価上昇につながるのかという問題でしょう。ひとつ参考になるのが、FRB(米連邦準備理事会)による3段階にわたる量的金融緩和です。
長期で年率2%のインフレ目標を採用しているFRBの量的金融緩和は、金融システムの安定や株式など資産価格の上昇には大きく寄与したものの、その間、米国において貨幣供給量の増大に対応するような物価上昇率の加速は発生していません。日本でもすでに株高・円安という形で、資産価格はリフレ政策への反応を見せていますが、物価や雇用などの実体経済は期待外れに終わる可能性があります。
人々に対して「お金があればすぐに何かを買うはず」「インフレになる前に消費を増やすはず」などの行動原理を当てはめるリフレ政策の考え方は、私たち一般個人の庶民感覚からしても、いささか論理が飛躍すぎるような気もします。長期デフレの主因が需要不足だとするならば、いま求められているのは人々がお金を使う“動機”を増やすことではないでしょうか。経済も社会も成熟段階にある日本において、その動機とはいったい何なのか、もっと深く考える必要があるかもしれません。