人間の判断は経済合理性から外れていく
伝統的な経済学の理論においては、人間の経済的な判断や決定はすべからく、「当事者に最大の利益をもたらすように下される」と定義されてきました。人びとの経済行動は本来、非常に合理的なものであり、数学や統計学で求められた期待値などに沿うかたちで、常に「効用最大化」へ向かうと考えられてきたのです。
ところが、実際に投資をはじめとする経済上の選択に迫られたとき、私たちはむしろ非合理で利益を損なうような判断や決定を下してしまうことが多いようです。ここ数年で「行動経済学」という新しい分野の研究が進み、人間の経済行動がどのような心理の影響を受けながら、どのようにして伝統的な経済理論から外れていくのか、その典型的なパターンがいくつか分かってきました。
たとえば、ある投資家がA社の株を買うかB社の株を買うか迷った末に、A社の株を購入したとします。その後に、A社に関する悪い情報やB社に関する良い情報を耳にしたら、この投資家はどのような行動を取るでしょうか? 自分の選択の誤りを認めて、損失を覚悟でA社の株をすぐに売るという手もありますが、多くの投資家はそうはしません。意に反することが生じた不快感を軽減し、自分の行動を正当化するために、A社の短所やB社の長所を軽視したり、A社の長所やB社の短所を強調して考えたりしようとします。
すなわち、投資家の心のなかで無意識のうちにA社の魅力が相対的に大きくなり、B社の魅力は小さくなるという状態が発生するのです。このように、人があるものを所有しているとき、それを所有していない場合よりも高い評価を与え、手放したくないと感じる現象を「保有効果」と呼びます。自分の選んだ株に惚れ込んだ挙げ句、塩漬けになるといった状況は、このような心理的プロセスによってもたらされることが多いようです。
売りを躊躇させる損失回避と後悔回避
いま、あなたはC社とD社の株を保有しているとします。そのいずれかを売って、新たにE社の株を買うことにしました。2つを同時に購入してから半年の間に、C社の株は15%値上がりし、D社の株は15%値下がりしています。銘柄としての将来性には両者とも、ほとんど違いはありません。あなたならC社とD社、どちらの株を売るでしょうか。
投資の目的があくまでも「最大限の利益をあげる」ことにあるならば、D社の株を売るのが合理的と考えられます。半年前の購入時から値下がりしているため、キャピタルゲインに対する課税がないからです。ところが現実には、こうしたケースにおいて、値上がりしている方の株を売ってしまう投資家が多いようです。
これには「損失回避」や「後悔回避」という人間心理が影響しています。私たちには、儲かると思ったらリスクを避けて、確実に利益が残るように行動する傾向があります。反対に損をしそうな場合には、確実に損失を計上する(損失を確定する)ことを避けようとする心理が働きます(損失回避)。
また、人は短期的なスパンにおいては、何かを「やらなかったこと」よりも「やってしまったこと」の方に大きな後悔を感じる傾向があります。すなわち、株を売った後にそれが値上がりして後悔するぐらいなら、もうしばらく様子を見たいと思うわけです(後悔回避)。そのため値下がりした株に対しては、根拠もなく株価の反転を期待したり、「買い値にもう少し近づいてから売ろう」と考えたりしがちです。かくして投資家は、保有し続けるべき株を売り急ぎ、手放すべき株を売り遅れることが多いのです。
行動経済学が示唆しているのは、私たち人間が利益や損失に対していかに曖昧な認識を抱いて行動しているか、ということなのだと思います。利益も損失も価格変動(リスク)によってもたらされるものであり、言い換えれば、実際のリスクと私たちの「リスク認識」との間にギャップがあるということです。私たちがコンピューターではなく、あくまでも自分で投資をおこなうかぎり、そこでは投資行動の自己管理が常に問われてくることになります。