取引の複雑化がリスクの全貌を見えにくくする
今年(2012年)5月10日に、米国の大手銀行JPモルガン・チェースが、デリバティブ(金融派生商品)の取引によって20億ドル(約1,600億円)の評価損を計上したと発表しました。発表が唐突だったことや損失が巨額だったことに加えて、何よりも市場を驚かせたのは、リスク管理に長けた慎重な銀行として世界的に評価が高いJPモルガン・チェースでで問題が発生したことです。
銀行が用いるリスク計測モデルとして有名な「VaR」(バリュー・アット・リスク)は、1990年代の初頭に同行が中心となって考案したといわれています。VaRは株式や債券などの相場が動いた際に、銀行が保有する金融資産に最大でどの程度の損失が出るかを推計するもの。日本を含む世界各国の主要銀行がリスク管理に活用し、国際的な金融規制におけるリスク算出の指標としても長年用いられてきました。
リスク管理の第一人者として自他共に認めるJPモルガン・チェースをもってして、なぜ巨額の損失を防ぐことができなかったのでしょうか。考えられるのは、取引のグローバル化・複雑化にともなってリスクの所在や全貌が見えにくくなってしまったこと。同行が今回行っていた取引は、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)というデリバティブの一種です。同行ではさらなる損失拡大を防ぐために取引の詳細を明らかにしていませんが、CDSはその使われ方次第では、取引が複雑化しやすいことで知られています。
CDSは本来、国債や社債、融資などの債権を保有する投資家が第三者である別の投資家に保証料を支払って、デフォルト(債務不履行)が発生した際のリスクを引き受けてもらう取引です。いわば保有債権の信用リスクをヘッジ(回避)するために購入する保険にあたるわけですが、現実には破綻リスクが高まると予測してCDSを購入し、保証料率が上昇してCDSの価値が高まったところで売却するといった、投資・投機目的の取引が大半を占めています。
例えば、米国の銀行が投資目的でドイツの銀行からCDSを買ったとしましょう。予測がはずれてCDSの価値が低くなりそうなとき、米国の銀行はCDSを売る必要に迫られますが、すぐに売れない場合には他のCDSを売るポジション(持ち高)をつくり、当初のCDSを売ったのと同じ効果を狙うことも可能です。そこで米国の銀行がフランスの銀行に他のCDSを売り、買い手であるフランスの銀行はリスクヘッジの目的で英国の銀行にまた別のCDSを売る――。こうして取引がグローバルに拡大・複雑化していきます。
加えてJPモルガン・チェースでは、複数のCDSを束ねた「CDS指数」を大量に売買していた模様です。こうなると、もはや銀行の経営者や取引の担当者でさえもリスクの全貌が把握できなくなる恐れが出てきます。歴史は繰り返すといいますが、今日の世界的な経済停滞や金融危機の出発点となったサブプライムローンの証券化商品と同じような取引が、またもや銀行で行われていることになります。
商品そのものではなく、商品の使い方に問題がある
ただし、そうはいってもCDSに金融商品としての欠陥があるわけではありません。CDSも証券化商品も、元々はリスクの回避や分散を目的につくられた商品です。それを銀行が投資や投機の目的に使う、その使い方にこそ問題があるといえます「銀行は懲りていない」という見方が広がって、欧米を中心に国際的な金融規制強化を求める動きが加速していますが、それも致し方ないかもしれません。
金融規制強化のひとつの目玉として、銀行が預金者のお金を高リスク取引に投じることを禁じた「ボルカー・ルール」が挙げられます。このボルカー・ルールに関して、興味深い出来事がありました。今年6月13日にJPモルガン・チェースの最高経営責任者であるジェームズ・ダイモン氏が、巨額損失をめぐって米議会で証言を求められたその席で「ボルカー・ルールがあったなら損失を防げた可能性はある」と発言したそうです。
同行で実際に損失を出した最高投資戦略室という部署は、預金を貸し出しなどに回した残りの資金を運用し、金利変動などのリスクを回避することが本来の役割でした。ダイモン氏の発言は、役割の逸脱を防げなかったことへの反省とも受け取れます。しかし一方では、強力な規制がなければ自己管理もできないうえに、ルールに反していなければ何をやってもいいという、銀行としての甘えやおごりを自ら認めたようにも聞こえます。
あまりに過度な規制強化は金融機能の低下を通じて経済成長の活力をそぐといった懸念もありますが、最終的には金融の中心的な担い手としての自覚や責任を、銀行自身がどこまで持てるかにかかっていると思われます。それができない限り、規制を強化しようがしまいが、歴史は再び繰り返されるかもしれません。