食料不足よりも食料価格の上昇が問題
ひと言で「食料危機」といっても、その内容には大きく分けて2つの側面があると考えられます。ひとつは、生きていくのに必要な食料がすべての人々にまでは行き渡らなくなること、すなわち食料の絶対量が不足する危機です。
これについては、英国の経済学者マルサスが18世紀末に『人口論』という著書で主張した説が有名です。世界の人口増加のスピードがあまりに速く、食料生産が追いつかないため、飢餓や貧困が発生する。それらを防ぐためには食料の供給能力に合わせて人口を抑制すべきとマルサスは指摘しました。
実際には、そのような世界規模の食料不足は今日まで起きていません。品種改良や農薬、化学肥料の開発などバイオ技術の進歩によって、農産物の生産性が飛躍的に向上したためです。過去50年で見ても、農地の砂漠化や工業化の進展により、世界の耕地総面積が増えなかったにもかかわらず、単位面積あたりの収穫量が高まったため、穀物生産量は2倍以上に増えています。
こうした技術革新を通じて、今後も食料は世界的に供給過剰の状態が続くという楽観的な見方がある一方で、いずれは食料需給が切迫するという悲観論も目立ちます。以前から新興国における穀物需要の増加が指摘されていましたが、最近ではそれに加えて供給制約を懸念する声も増えてきました。農地の劣化や農業用水の不足、肥料の効果減退、さらには相次ぐ天候異変も重なって、穀物収穫の不安定さが増していくという見方です。
食料の需給バランスが将来的にどうなるかを、現時点で正確に予測することは誰にもできないでしょう。むしろ私たち日本人にとって当面の問題は、食料危機のもうひとつの側面ではないかと思われます。それは、すべての人々が十分な量を確保できなくなるレベルまで食料の価格が上昇する危機です。
21世紀に入って以降、特に2006年ころから、穀物の価格は乱高下を繰り返すようになってきました。今年(2012年)も穀物価格の指標となるシカゴの先物市場で8月にトウモロコシが、9月に大豆がそれぞれ過去最高値を更新し、小麦も7月に4年ぶりの高値を付けています。米国の穀倉地帯が約半世紀ぶりの干ばつ被害に見舞われたことや、小麦の有力産地であるロシアやウクライナで天候不順が続いたことなどが直接の原因です。
穀物価格を左右するのは需給関係や天候だけではありません。例えば世界的な金利低下と株価低迷で運用難が続くなか、主要国の金融緩和によってダブついたお金が、投資・投機マネーとして穀物市場へ大量に流入しています。最近では米国カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)など、いわゆる長期の投資マネーも穀物市場での運用に乗り出しました。米国におけるトウモロコシを原料としたバイオエタノールの生産増加や、中国による食料備蓄の拡大、農作物の生産国が輸出規制に踏み切る懸念なども穀物市場のかく乱要因となります。
穀物価格の上昇パターンが変化してきた
穀物価格の将来的な動向についても、専門家の間で大きく意見が分かれています。投機マネーの影響を重視する専門家は、世界の景気が回復して過剰な金融緩和とカネ余りが是正されれば、穀物価格は下がると指摘します。一方で、2006年以降の穀物価格が豊作時においても上昇していることや、価格上昇が穀物全般にわたっていることなど、従来とは異なる価格上昇パターンに着目し、穀物市場が「農業資源の有限性」を織り込み始めたと見る専門家もいます。
実際に穀物価格が高騰・高止まりした際に大きな影響を被るのは、2011年度の食料自給率が39%と低く、食料確保の多くを輸入に頼っている日本のような国でしょう。輸入の割合が大きいトウモロコシ、大豆、小麦の世界三大穀物はもちろん、それらを原料や飼料とする肉、卵、乳製品、しょうゆ、食用油などにおいても、価格が大幅に上昇することになります。
穀物価格の高騰と並行して、財政破綻などをきっかけに急激な円安が進行した場合、事態はさらに深刻です。低所得者や年金生活者などを中心に、自分の食べたいものが高すぎて買えなくなるという、現代社会においては信じられないようなケースも出てくるかもしれません。
ちなみに日本の39%という食料自給率は先進国で最低の水準ですが、米国やカナダ、フランス、オーストラリアでは自給率が100%を超えており、ドイツでも90%台です。こうした他の先進国の高い数字を見るにつけ、たとえそれが杞憂(きゆう)に終わったとしても、食料危機への備えに関する議論が日本でももう少し活発に行われていいような気がします。