1. 金融そもそも講座

第43回「金融政策の有効性とは? PART2」傷むバランスシート / 危機の連鎖の中で

前回は人口動態など日本経済の大きな変化の中での「金融政策の有効性の低下」に触れたが、今回取り上げるのは“危機”がもたらす金融政策への影響である。

危機との遭遇

ここでの“危機”とは、日本の90年代のバブル崩壊、米国におけるリーマン・ショック後の経済危機などを指す。どちらも日本や米国、ひいては世界経済に与えた影響が大きかった。共通しているのは土地や株などの資産価格の大幅な低下であり、それによる経済活動の大きな鈍化である。全体的に失業率は上昇し、人々は経済の先行きに警戒的になった。

日本でも米国でもそうだが、経済危機が起きると経済運営の大きな翼を担う金融政策に対して「緩和が行き過ぎていたのではないか」といった中央銀行の政策への反省や批判が生まれる。さらには、「中央銀行の政策はなぜバブルの発生と崩壊を防げなかったのか」という大きな論争が生まれることが多い。日本のバブル崩壊の際にも、「日本の中央銀行は、一般物価の安定に安住して、資産価格の上昇を金融政策変更の要因にすることを忘れていた」といった批判が強く出た。「もっと早めに総合的に判断して引き締めに出るべきだった」という意見だ。

それができたのか、正しいのかについては今でも論争がある。しかし、危機が起きる前に中央銀行が保持していた高い権威が毀損したことは間違いない。米国でもリーマン・ショックが起きる前のグリーンスパン(1987年から2006年まで20年近くもFRBの議長を務めた)の金融政策については高い評価が与えられ、「グリーンスパンは神か?」といった新聞記事や本が出された。長きにわたっておおむね物価の安定と成長が保たれていたからだ。しかし2008年のリーマン・ショックでは、バーナンキ議長の前の「グリーンスパン議長時代の金融政策が間違っていたのではないか?」との見方が強くなった。今では、グリーンスパンを「神」という人は皆無に等しい。彼の権威は地に落ち、同時にFRBの政策に対する信頼性も低下した。

権威が低下した中央銀行のとる政策が経済活動に与える影響力は減退する。経済危機の中で、「もう一度緩和する」と言っても、「二の舞になるのでは」と警戒する“気分”が生まれるから、金利が下がっただけでお金を借りようという向きは少なくなる。

傷むバランスシート

危機は、消費者、企業、地方公共団体、そして中央政府と経済の各段階に、通常は大きな借金、負債を残す。それは世界共通である。1980年代までの日本もそうだし、リーマン・ショックの前の米国もそうだったが、危機の「ビフォアー」において消費者は全体に経済の先行きに強気で、住宅や車などの大型消費財を「借金」してでも前倒しで購入する。それがまた経済の拡大を加速するのだが、状況は「危機の発生」で大きく変わる。

危機が発生すると、まず借金までして買った住宅価格が大きく下がる。その結果、土地や家の評価価値が、抱えた借金の額を下回ってしまうといった事が起きる。借金過多といってもよい。バランスシートが大きく毀損するのだ。また、経済活動全般が低下するから、一人一人の消費者の雇用の安定が脅かされたり、主に給与から得られる所得がカットや残業の減少によって低下する。ということは、個々の消費者の総収入に占める借金返済負担割合が増大することを意味する。これが消費支出の抑制につながり、経済全体の消費を落ち込ませる悪循環だ。だから、いつでもどこでも経済危機の「アフター」はいろいろと悲惨なことが起きる。

健全な経済意識を持った消費者が大きな借金を抱えた時にする行為とは、まず借金を返すことだ。中央銀行が金融緩和をして利子率が下がったからといって、さらに借金を重ねる人は少ない。「借金は返すもの」という意識が強い日本や米国ではなおさらで、危機後の消費者は、金利が下がったからといって安易には借り入れに走らない。「借金は怖いもの」という意識が広まり、消費も抑える。それによる不況を「バランスシート不況」という。負債サイドが資産サイドを上回ってしまうのだ。消費者と同じ行動をするのは、健全な返済意識を持つ企業である。企業もまた危機の中で借金が膨らむと、その後はしばらく借金返済による経営の健全度向上に注力する。

その結果は、利子率の低下にもかかわらず、消費者も企業もあまりお金を借りないという現象が起きる。つまり、金融政策の有効性の低下である。

危機の連鎖の中で

消費者や企業レベルの負債が大きく、それらの返済が優先されているときには放っておくと当該国の経済はひどく落ち込む。なぜなら、先進国ではGDPの6~7割を占める消費が精彩を欠き、企業も大きな設備投資をしないから経済活動が盛り上がらないためだ。こうした時期は失業率も高めで、働く人が得られる所得も全体的には減少気味だ。つまり経済は負のスパイラルになる。

そうした経済を元気づけるためには、政府が支出を増やす方法が昔から取られてきた。大恐慌の後のニューディール政策が有名だが、日本もバブル崩壊後の厳しい経済状態の中では、「景気対策」と称して大規模な公共事業や失業対策を何回も打った。しかし打つには大きな資金がいる。税収が落ち込む中で財政を出動しなければならなくなるから、それは国債の発行などで賄うことになる。景気は良くなって消費者や企業の借金は多少減少するかもしれない。しかしそれは大部分のケースにおいて消費者や企業の借金が国の借金に振り替わった形になったものだ。景気回復で経済活動が活発になり、税収も増えて、国が借金である国債を償還し、財政赤字を均衡に近づけることができれば、それは本当に経済状態が改善されたことになる。しかし今先進国が全体的に直面しているのは、危機の連鎖の中で、消費者、企業のレベルではなく、国のレベルで借金が増えているという事態だ。

それには理由がある。大部分が民主主義の政治体制を取る先進国にあって、「政府が景気の悪化に歯止めをかけ、失業率の上昇を抑えるのは当然」という考え方が一般的だからだ。それは間違いではないが、「政府さえ動けば」という考え方が広まると、所詮個人や企業からの税金で賄われるべき国家の財政、その守るべき枠組みを超えて過度な借金を背負い、それが新たな経済危機を引き起こす可能性が高まる。今の欧州の財政危機はそのパターンだ。

消費者、企業、そして地方を含めた政府の借金が増える中では、金融政策はますますその有効性を低下させるのだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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