1. 金融そもそも講座

第31回「“真逆”の世界」

前回取り上げた米国の「通貨敗戦」が持つ意味は大きい。その原因の一つになったのが世界経済の“変質”だった。その変質が、一連の国際会議後に実に鮮明になり、誰の目にも隠せなくなったのだ。今回はそれを書きたい。

真逆

「世界は大きく展開した、変質した」と私に思わせるきっかけとなったのは、世界を代表する経済新聞二紙の見出しだった。それがあまりにも対象的だったのだ。その時、「世界は綺麗に二つに分かれてしまった」と思ったのだ。

それは11月18日。まず英国のフィナンシャル・タイムズ。一面トップの記事の見出しは、「米国のコアのインフレ率が、記録始まって以来の低い伸びに」とあった。これは10月の消費者物価指数が、食品とエネルギーを除いたコアの部分で0.6%の上昇と、統計上、比較可能な1957年以降で過去最低の伸びとなったことを指す。つまり米国経済はデフレ状況だということだ。先週指摘したように、世界での孤立のリスクを背負っても米金融当局が大胆な金融緩和をしたのはこういう背景があるからだ。しかし重要なのは、思い切った緩和をしたからといって、物価の望ましい上昇基調を取り戻せるか分からない、という点である。米国は依然としてデフレのリスクに直面している。

これに対して、もう一方の米国のウォール・ストリート・ジャーナルの見出しは、「中国、食料品などに物価統制も」というものだった。それは中国の直近の物価上昇率が4.4%と、政府が目標とする「3%以内」を大きく上回ったことから、「政府は物価統制まで視野に入れ始めた」というものだ。

最近の中国では生活必需品の値上がりが顕著である。こうした必需品の値上がりは、所得が低い消費者を直撃する。これは「経済が好調といわれて都市には高層マンションが次々に建つのに、私たちは生活必需品も買えないのか」という民衆の不満につながり、その高まりはやがては「体制の危機」になりかねない。もともと社会主義に基づく計画経済(当然、物価も統制されていた)をしていた中国が、その古い政策の棚から埃を払って(同紙は dust off という単語を使用)、新たな「物価統制」を検討し始めたことを米国の有名な新聞は報じたのである。

これはまさに“真逆”である。米国のコアの消費者物価は統計を取り始めて以来の「lowest」で、金融当局が物価と景気を押し上げる措置をしているというのに、中国では食料品、燃料などの値上がりが激しく、であるが故に「物価統制も検討している」という。片方の「デフレ」に対して、もう一方の「インフレ」。これほど米国中心に回っていた世界の経済が、大きく変容したことはない。

two-speed nature

この「先進国でデフレ傾向が強く、中国など途上国でインフレ傾向が強い状態」が共存する状況をうまく表現したのは、米FRBのバーナンキ議長である。同議長は11月19日のドイツでの講演で今の世界経済を「two-speed nature of the global recovery」と表現した。“two-speed nature”とは、「年率で5%をはるかに上回る成長率で経済発展を続けており、それ故にインフレ問題を抱えた途上国」と、「全般的にはデフレ傾向を持ち、成長率もせいぜい1~3%にある先進国経済」を、成長スピードや物価上昇率の差で「二つになっている」と表現したものだ。

これを各国の金融政策のフェーズ(局面)で見ると以下の二つに分けられる。

  • 1. 国内の物価上昇力を恐れて、自国通貨が対ドルで上昇することをある程度覚悟しながら国内政策金利を引き上げている国
  • 2. 米国や日本のように量的金融緩和を発動して、実質短期金利を限りなくゼロに近い水準に置き、かつ非伝統的な金融手法で国債やETFなど中央銀行が購入して資金を国内の金融市場に流している国

もっともここで途上国と先進国が入り組んでいるところもある。例えば、通常は「先進国」に分類されるオーストラリアが完全に「利上げ組」に入っているからである。その理由は、オーストラリアが先進国でありながら「工業国というよりは資源国である」ということに起因する。利上げ組には、中国、インドの二大巨頭に加えて、韓国など一部のアジア諸国などが挙げられる。これらの国では、高い成長率か、海外からの旺盛な資本流入、それに資源貿易の好調によって、国内経済が過熱して資産価格が上昇し、さらに物価上昇率がそれぞれの国のターゲットを大きく上回っている。

景気や物価上昇を抑制しようとして金利を上げれば、相対的に高い金利を目当てに資金が流入する。それは自国通貨高につながる。値上がりの対象は米ドルであったりユーロだったりする。しかし国内物価情勢の緊迫化の中では、「自国通貨が高くなるのは米国のせい」だと非難の矛先を外に向けたり、景気の過度な減速のリスクや多少の通貨上昇を覚悟して、インフレ圧力の抑制に乗り出さざるを得ないのである。そうした国の中には、インド、中国などが入っている。

対して、経済成長力の減退とデフレ圧力に直面する日本や米国は、懸命の資金需要掘り起こしと経済への資金の流し込みを続けている。その一つの方法はお金のコスト(金利)を安くすることであり、もう一つは世の中の資産(国債やETFなど)を買って流動化し、お金の流れを良くすることである。しかし、そもそもそれを必要とする事業がなければ、また雇っている人に給料を支払う必要がなければ、お金は世の中を回らない。いくらお金のコストを安くしても、お金を借りて事業なり、投資なりをしようと思わないと回らないのである。今、日本や米国はそうした大きな問題に直面しているのである。

共通基盤の欠如

世界経済の“two-speed nature”にはどう対処すべきか。これは難しい問題だ。米国の立場に立つと、「まだ世界各国が米国経済に依存しているのだから、その米国経済が回復を狙って金融緩和をしている時には、多少のドル安には目をつぶってほしい」と本音では考えているだろう。しかし世界はそうは甘くない。途上国には「米国のドル安は近隣窮乏化政策だ」と映る。

バーナンキ議長は、「こうした状況を乗り越える一つの方策は、経常収支の大幅な黒字を抱えている国が、自国の通貨の上昇を妨げないことだ」と述べている。具体的には中国とドイツを指しているが、ドイツはユーロという欧州全体の共通通貨を導入していて、ドイツが黒字でも通貨はそれに見合う形では上昇しない構造になっている。むしろ、欧州の財政不安がアイルランド、ポルトガル、スペインと飛び火する危険性がある中で、通貨環境はドイツの輸出に有利に働いている。だからドイツの景気はすこぶる良い。

もう一方の中国は、「今人民元を切り上げたら、倒産する企業が急増し、農業も競争力を失って失業者が大量に出て、体制が持たなくなる」と反論している。体制の問題だけに、中国がアメリカの期待通りに人民元を足早に切り上げる可能性は非常に低い。ということは中国の貿易黒字は膨大なまま続くことになり、一方の米国の貿易赤字は大きなままだということだ。

つまり今の世界は、10月~11月にかけての一連の国際会議を経て、「各国が話し合いの環境を保っている」というプラスの面は残しているものの、「二つのスピードがどう溶け合うのか」の答えは見つかっていない。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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