1. 金融そもそも講座

第128回「各国経済の強さと弱さ PART5(米国編)」ハイな国とは? / 大国のコスト / 危機の発信地に

“そもそも的”な説明がやや抜けていたことを反省しつつ、「各国経済の強さと弱さ」の“米国編”を4回にわたり続けてきた。今回がその最終回である。世界経済における米国経済の“抜け出し”は、創出している雇用の数から判断できる景気の強さからも、金融政策がいち早く出口戦略に足を踏み出した現状からも明らかだ。前回取り上げたように弱みもある。今回は筆者がニューヨーク滞在中から気になっている米国の「意外な弱み」について書きたいと思う。それは「米国が“ハイな国”」であり、それ故に金融などの危機を頻繁に引き起こす危険性を持っているのではないか、ということだ。

ハイな国とは?

「ハイな国」とは私的な表現で少し説明が必要だ。「我々は世界の他の国々に比べてちょっと特殊な成り立ちを持つ」という選民意識、「故に責任がある」という大国意識のようなものだ。70年代の後半に4年間のニューヨーク駐在の間に気がつき、その後も米国を見守り続ける中でずっとそのことを感じてきた。

筆者が毎年「米国人は自分の国が世界の国々の中でも特殊な国だと思っている」と感じるのは、年の初めに出る大統領の一般教書演説を読む時である。そこには必ず「米国には使命がある」「米国は世界を先導しなければならない」など、使命感にあふれる、しかしある意味で「お節介な国だ」と思えるような表現が多い。どの大統領もそれらの表現をどこかにちりばめる。

同じ時期に出る日本の首相の所信表明演説と読み比べて、「やはり違うな」と毎年思う。日本の首相の年頭演説には世界に対する使命とか義務はほとんど登場しない。あるのは日本を世界の中でどう位置づけるか、という視点だと思う。戦勝国、対する敗戦国という違いではなく、米国には大統領に年の初めに毎回それを言わせる歴史、そして国民の間の潜在的意識、願望があるのだと思う。

大国のコスト

それは米国の成立の歴史を見れば理解できる。明らかに欧州の旧弊と弾圧から自由になりたいという意図を持って来た人々が最初だ。指導者の多くはそれを体現する行動を取ろうとする。メイフラワー号のボストン近郊への到着からそうだった。世界の多くの自然成立国家や、植民地支配の残滓(ざんし)の中で国境が画定された国とは違う。

移民でできた米国では、この「使命」や「義務」は多様な人々をバンドル(束ねる)する重要な意味合いがあり、それ故に米国の大統領も年に1度の一般教書演説の中でそのことに触れないわけにはいかないのだと思う。つまり米国はいつも使命や義務、それに「努力すればいつでも成功できる」という「アメリカン・ドリーム(米国の夢)」を追っていることで一つになっている国だともいえる。筆者はずっとそう思っていた。「ハイな国だ」と筆者が言うのは、そういう意味である。

それは一面良いことであり、使命感や義務感、それに「アメリカン・ドリーム」があるからこそ人材、資本、技術が集まる。それを筆者は米国の「強さ」としてPART3で取り上げた。しかしそうであるためには、他の国にないコストがかかる。それは(使命や義務を追う)大国であり続けることのコスト、すなわち「大国のコスト」と呼べるものだ。世界の秩序を守り、自由も守るという使命があるからこそ、今でも米国は世界中に軍事基地を展開し、テロ集団としてのイスラム国が出現すれば世界の先頭に立って対峙する。

重要なのは、それには膨大なコストがかかるということだ。それがあまりにも過大な故に「海外に対するできる限りの介入回避」の考え方が出てきた。しかし米国の国民の中にはどこかに「米国が何とかせねば」という気持ちが残っているし、世界も「やはり中東問題の解決は米国にしかできない」といった考え方をする。筆者はこの膨大なコストがある限り、米国が北欧のような超先進国(一人当たりGDPが4万ドルを超えるような)にはなかなかなれない、と考えている。

それに関連するが、最近中国の習近平主席が「中国の夢」と盛んに言い始めたことは興味深い。中国もある意味、多民族国家だ。故にこの言葉が必要になっているのか、それとも「共産党による統治の正統性」の裏付けに使っているのか分からない面があるが、ひとつ確実なのは習近平その人は「大国としての中国」を夢見ているのだろう、ということだ。しかし米国の例を見るまでもなく、大国であることには大変なコストがかかる。“夢”を語るならその覚悟がいる。

危機の発信地に

今まで取り上げてきたように米国はヒト、モノ、カネを集める。よってそこは「熱を持った地」ということになる。人間で言えば「体温が高いヒト」といったイメージだ。実際、米国には次々に熱を持った産業が生まれ、それがまた世界中から人材を集める。さらに資金も集まり、そして技術が集積する。それ故の抜け出しだ。

しかしそれはまた米国が「バブル発祥の地」になりやすいことを意味している。米国は「株の国」だ。世界でも例のないくらい国民の多くが株を持ち、株価の上昇が経済の支えになる構造を持っている。下がれば国民の懐が直接痛む。それは経済の縮小につながる。だから世界のどの国の中央銀行よりもFRBは「マーケットとの対話」に気を使う。しかしそれに常に成功してきたわけではない。熱を持った地には世界からお金が集まるし、米国経済もそれに頼る。株や金融商品は時に人々の過度の期待を集め、様々なゆがみを生む。それが破裂すれば「バブル崩壊」だ。

実際に想起しても、世界大恐慌の発端となった株価の大暴落も米国のニューヨークが震源地だったし、リーマン・ショックもそうだ。歴史を見ると世界の多くの国では世界を震撼させるようなバブル崩壊はあっても1~2回だが、米国は株価の突如の急落を含めるとブラックマンデー、ITバブル崩壊などすぐに片手がいっぱいになる。それは米国が世界に影響を及ぼす大国である証拠ではあるが、常に熱を持った地であることの宿命であるように思う。

「アメリカン・ドリーム」を今でも多くの国民が頭の一端に起き、事あるごとに「自分たちは他の国とは違う」という使命感を残す米国。しかし、最近の事件を見るまでもなく人種対立は根強く残り、貧富の格差拡大も世界で一番大規模に進む。だから夢や熱は冷めそうでいながら、今でも残る。つまりそれは依然として米国がハイな国であるということだ。それは米国の強みであり、弱みでもある。つまり米国にはマーケットの観点から言うと、「日本などの他国に比べてより多くのチャンスがあり、同時にリスクもある」ということだろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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