1. 金融そもそも講座

第123回「各国経済の強さと弱さ PART1(米国編)」増える身の周りの米製品 / 変化に適合

前回まで米国経済の相対的な強さから生じている金融政策を巡る国内論争を4回シリーズで扱ってきた。その中で“そもそも的”なことを説明し忘れているかもしれないと考えた。なぜ今、米国経済が“抜け出し”の状態にあるのかに関して、根本的な説明が抜けていたかもしれないと思ったのだ。そこで今回から数回に渡って、米国、日本、それにEU(欧州)の経済の「強さと弱さ」を総花的ではなくいくつかのポイントに絞って取り上げることにする。各国(地域)経済が「今置かれた状況になぜあるのか」を明らかにすることで、読者の皆さんが今の世界経済を考える上でのよいきっかけになると思うからだ。

増える身の周りの米製品

米国経済の強さは、実は日本に住む我々の身の周りにひしひしと迫ってきている。9月中旬以降、いったい何台のiPhone6や同 plusが日本で売れたのか。もはや私の身の周りはそれ以前の機種を含めてiPhoneだらけだ。日本製のガラケーやスマホの保有者は本当に少なくなった。検索もナビもグーグルの利用が劇的に増えている。もはや日本人の生活のあらゆる局面で、米国の製品(ハード、ソフトの両面で)は必要不可欠な存在になった。日本人の身の周りに増えている日本製品といえば、今年のノーベル物理学賞を受賞したLEDの技術をふんだんに使った日本製品くらいだ。

1970年代、80年代は逆だった。筆者は76年末から80年末まで4年間米国(ニューヨーク)に駐在していたが、当時は米国人にとって日本の製品が必要不可欠になりつつある時代だった。テレビに関しては米国人の多くが「ソニーはいいね」と言っていたし、車に関しては二度の石油危機(73年と79年)もあって燃費の良い日本車が飛ぶように売れていた。日本と米国の間には鉄鋼など貿易紛争の芽になる製品が多く、その全ては米国が日本に太刀打ちできなくなったことから生じたものだ。日米の産業力が戦後すぐの構図から逆転しつつあった時期だった。

生じた再逆転

それが今、再逆転されつつある。なぜか。筆者が考える最大の要因は「変化への受容性」だ。特に米国という国のシステム(例えば会社組織、政府組織)、それに社会の価値感の変化への受容性の高さが最大の要因だと思う。置かれた状況への変化、テクノロジーの変化などなど「変わることへの抵抗」が日本や欧州に比べて米国では非常に小さいと思う。それがテクノロジー、価値観、人々の生き方が激しく変化する時代にあって、米国が時代にはまった理由だと思う。

米国に住んでいて戸惑ったことは他にもある。好きではなかった質問の中に「今の会社に何年いるのか」というのがあった。日本人だったら例えば「まだ5年です」とか「もう10年選手です」とか、長くいることを自慢げに答える。私も最初はそうしていた。しかしそのうちに「一つの会社に長くいるのは能力のない証拠」と米国人たちが見なしていることが分かってきた。だから聞かれるのが嫌になった。私のニューヨークへの赴任は入社4年目だったが、そう言うと米国人は「じゃ、そろそろ次の会社ですね」と平気で言う。日本人にはそんな発想はない。

「次」の中には次の良い会社(自分がランクアップできる)という意味もあるし、自分で会社を興すことも含まれる。いずれにしても一つの組織に長くいることをあまり評価しない。むろん米国でも例えばGMとかIBMのように、かつては日本企業のように終身雇用に近いシステムを持っていた会社もある。しかしほとんどの米国人が「次」「次」と会社を変えていくことが普通であり、当然だと思っていたし、今でもそう考えているはずだ。その当時、私は一つの会社でじっくりモノづくりをしないのは今の米国の病根の一つと思ったものだ。

変化に適合

しかし当時は弱点に見えた米国の組織(会社や政府組織)の特徴が、社会や経済を支える基幹技術が入れ替わる時代(アナログ→デジタルなど)にはぴったりとはまった。米国という国の組織は、いってみればたった数年で大部分の人が入れ替わる。ワシントンの政府組織も大統領が入れ替われば上席の人はほぼ全員が代わる。日本は逆だ。入れ替わるのに何十年もかかる。米国では自ら会社を興すことへの社会的受容性も高い(日本では親が子供を止めたりする)。

基幹技術が変わらず、一つの製品に一つの組織がじっくり取り組んで良い製品を生み出す、それを続けるという時代には日本のシステムと組織は合っている。しかし80年代から始まったデジタル革命は、社会の変化スピードを劇的に変え、産業の壁を崩し、新しい産業が育つチャンスを生み出した。そのチャンスを素早くシステム(社会制度、組織制度など)の中に取り入れることができたのが米国である。日本や欧州では無理だった。

なぜなら既存の会社でも次々に必要な、そして新しい技術を持った人を入れることが米国ではできたからだ。米国には新卒とか中途採用とかいう概念そのものがない。どのレベルでも新しい人が入ってきては、古い人が出て行く。私の知っている範囲では、米国では4~5年で社員のほとんどが入れ替わっていたりする。新しい技術が急速に普及する時代には、そうしたシステムを持つ会社の方が確実に強くなる。日本ではデジタル時代が相当に進んだ後でも「PCを使えない役員」なんてのが山ほどいた。彼らは「俺はPCを開かない」と公言して威張っていた。

加えて米国では新規事業の立ち上げが容易だった。優秀な人は自由に移動したし、彼らが必要とする資金を集められるシステムも整っていた。親も社会も、つまりシステム全体が「新しい事業」に前向きだった。今世界を席巻している新しい企業のほとんどは米国発である。最初に取り上げたアップルもそうだし、グーグルもそうだ。日本が依然として得意としている車の世界でも米国ではテスラという非常に有望な電気自動車の会社が出てきている。テスラはトヨタ自動車と提携するほどの会社である。

つまり米国の今の強さの元をただせば、その発祥に由来する「社会が持つ変化への受容性」にあるといえる。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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