1. 金融そもそも講座

第96回「人口減少への視点 PART4」奉公人は走った / 買う方に歩かせる時代 / 売る方が歩く時代へ

前回はマーケットの様相が少し変わったのでカレントな話題に戻ったが、今回から再び「人口減少への視点」の連載に戻る。今回はそのPART4だ。PART3で「人口が増えない江戸時代の末期こそ、今に残る日本各地の名産品が生まれた時期だった」という話を展開し、その最後に“奉公人を走らせた”江戸時代の商人について少し触れた。今回はこの話を詳しく展開する。

奉公人は走った

人口が増えなかった江戸時代の商人はなぜ奉公人を走らせたり、江戸時代の風景画でよく見るような、自ら天秤棒を担いで魚や豆腐を売り歩いたのか。これは現在の商売の仕方、つまり店舗を構えて「消費者が買いに来てくれるのを待つ」という方式と大きく異なっている。

江戸時代の商人が考えたのは、「人口が増えないということは、自分の店の商圏に住む人も増えない。他店との競争で重要なのは、増えない顧客をどう確保して、囲い込むか。だから自ら売り歩くのだ」ということだ。交通手段も発達していない。待っていてもだめ、自分が売りに歩かなければ客はつかめない。だから小魚や塩、醤油まで、ほとんどの物が売り歩きの対象だった。反物もそうだ。丁稚(でっち)が担いで大店の奥様や大名屋敷に持ち込んだ。そもそも、奥様がふらふらと買い物に出る風習などなかったのだ。

買う方に歩かせる時代

ところが戦後が終わってしばらくしてからの日本では、「買う方が歩く」のが普通になった。我々も自らが歩いてデパートに行き、車を使って大規模スーパーで日用品を購入している。それを不思議に思わない。江戸時代の人が見たら、「おやおや、自分で行くのかい?来てもらえばよいのに」と言うだろう。

なぜ、「売る方が歩く時代」から「買う方が歩く時代」に変わってしまったのか。ひとえに「人口動態」に帰することができる。戦争が終わった1945年の日本の人口は調べてみると7300万人である。今より5000万人も少ない。5000万人といえば今の韓国の総人口だ。いかに戦後の人口急増が激しかったかが分かる。日本で人口が一番増えたのは1947年から10年ほどだ。1947年からはベビーブームが始まり、4年間ほど年間約250万人が生まれている。

それらの若者が自らの購買力を持ったのは1970年頃からだ。学校を卒業し、就職して定期収入を得た。かつ高度成長期で毎年大幅に労働賃金は増加した。若い彼らは自らの足で歩き、電車に乗り、車を運転し、レジャーを楽しんだ。そして店を構えている人にとっては黙っていても自分の商圏の消費者が劇的に増えた時代、彼らが移動してくる時代となった。売る方が歩く必要は全く無くなった。黙って店をきれいにして、美しい女性を店員にし、自ら動いてくれる消費者を待っていればよい時代が到来したのである。

その恩恵を最も受けたのはデパートだった。今でも「デパートは商品の博物館で、見ていて楽しい」という人がたくさんいるが、人々はそこで買い物することを憧れのライフスタイルとした。だからデパートは“小売りの王様”だった。しかし今は違う。日本の街を見ても分かるが、都心のごく一部を除き、いつも人がぞろぞろ歩いている場所は少ない。お年寄りは家から出るのもおっくうになっている。そして人口は減少期に入っている。恐らく1970年の日本人の平均年齢と、現在のそれとは10歳ほども違いがあるだろう。今の方が全体的に年老いているのだ。

売る方が歩く時代へ

現在でも特定の人気店が大勢のお客さんを集めているといった現象はあるだろう。しかし総じて言えることは、売る方が歩かねばならない時代、つまり江戸時代後期の商売方式が再び日の目を見る時代になったといえる。筆者が小学生の頃(長野県の諏訪に住んでいた)には、毎年冬になると富山の薬売りが我が家に来ていた。「昨年はこれをお宅は買ったが、今年はこれもどうでしょう」という商売だった。彼らは詳細な顧客データを持っていたのだ。それはある意味、現代より進んでいた。

多分これからの商売の基本は、人口急増期の買う方が歩く商売から江戸時代後期に見られた“富山の薬売り”方式をベースにした売る方が歩く商売の時代にかなり戻る。人口動態がそれをやむなきこととしている。ということは、商売をしている人すべてがそれを念頭に置き、今までの常識を切り替えないといけないということだ。

デパートやスーパーが苦戦する中で、売る方が歩く商売を既に実行している会社がある。昔のように人が余っているわけでもないし、人を雇用するコストも高いから人海戦術は無理だ。しかし今はITという新しい“御用聞き”のシステムがある。売る方がテレビやインターネットを通じて御用聞きをし、宅配便を使って配達をしている。デパートの売り上げが落ちても日本のGDPに占める消費の割合(6割)が変わらないことは、人々(消費者)がお金を使う場所が変わっただけのことを意味している。

最近では高度成長期の東京や大阪では考えられなかった商売が「街歩き」「売り歩き」を再開している。豆腐やスイーツなどまで売り歩く人が増えた。これは新しい傾向ではなく、商売の“先祖返り”だといえる。人口の減少を嘆いているだけではビジネスは伸びない。環境が異なる時代には、環境に合ったビジネスをしなければならない。それにどのくらい敏感に気がつくかが問われる時代だということだ。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

バックナンバー2013年へ戻る

目次へ戻る