ROE向上に偏った企業統治改革の功罪
安倍政権はアベノミクスにおける成長戦略の一環として、投資家と企業それぞれに向けた2つの行動指針をまとめました。ひとつは2014年2月に策定された「スチュワードシップ・コード」で、機関投資家に企業との対話や株主総会での議決権行使などを通じて、中長期的な企業価値の向上を促すよう求めるもの。もうひとつが、今年(15年)6月から東京証券取引所が東証1部と2部に上場する企業に対して適用を始めた「コーポレートガバナンス・コード」です。
コーポレートガバナンス・コードは、いわば上場企業に求められる企業統治の規範集にあたるもので、例えば持ち合い株式の保有目的に関する明確な説明など、全73に及ぶ原則項目から構成されています。上場企業は今後、企業統治報告書を作成して各項目に対する考え方や実践状況を明らかにすることが必要になります。
日本で企業統治というと、従来は企業経営を内外から監視して不正や不祥事などのリスクを未然に防ぐ「守りの機能」として理解されてきました。コーポレートガバナンス・コードでは企業統治について、企業が透明・公正かつ迅速・果断な意思決定をするための仕組みと定義しています。それが企業のリスクテイクを促進し、持続的成長と企業価値の向上に結びつくという期待も示しており、企業統治の意味合いが企業の競争力を高める「攻めの機能」に変わってきたといえるでしょう。
こうした背景のもと、日本企業がまず取り組んだのがROE(自己資本利益率)を重視した企業統治改革です。14年度は自社株買いや増配によって株主還元を積極化する企業が相次ぎ、その結果として上場企業の平均ROEは8%台まで高まりました。『ROE=純利益÷自己資本×100』という式で表されるため、株主還元を通じて自己資本を圧縮するとROEは高まることになります。積極的に資本の有効活用に乗り出した日本企業の変身ぶりは、とくに外国人投資家から評価され、日本株相場が大きく上昇する一因となりました。
ただし、この取り組みは目先のROE向上に偏り過ぎたきらいがあり、いくつかの問題点も見えてきています。例えば企業がCB(転換社債)を発行して市場から資金を調達し、その資金の全部や一部を自社株買いに充てる「リキャップCB」という手法。アイ・エヌ情報センターの調査によると、リキャップCBの発行件数は14年に前年の3倍にあたる15件まで拡大し、今年の発行件数も昨年を上回るペースで推移している模様です。
この手法では自社株買いによって自己資本が縮小され、ROEの向上につながりますが、発行したCBが将来的に株式へ転換された場合には再び自己資本が増えることになります。企業側はできる限り小さなコストでROEを高めるための工夫と捉えているようですが、全体としては資本が減るのか増えるのか分からない行為であり、株主にとって必ずしも有意義な還元策になるとは限りません。
今後は定性的な統治のあり方が問われてくる
市場では最近、企業がROEを高めた後の持続的な成長力を見極めたいという声も高まってきました。ROEの改善でいうならば、分母(自己資本)を減らす取り組みよりも、分子(純利益)をいかに増やすかが重要という考え方です。とりわけ企業価値の増大を重視する長期投資家は、短期的な利益のかさ上げや内部留保の吐き出しではなく、利益の源泉となるキャッシュフローの創出力に注目しています。
企業が将来のキャッシュフローを高めるためには、設備投資やM&A(合併・買収)の推進、研究開発費や販売促進費の増加など、本来的な意味での「攻めの経営計画」が必要となります。そこでは成長投資を優先するために、あえて無配にしたり、向こう数年間の利益見通しをマイナスとするような選択肢も出てくるでしょう。
企業によっては一定の内部留保という保険があるからこそ、攻めの経営が可能になるケースも見られます。また、コーポレートガバナンス・コードでは独立性のある複数の社外取締役を求めていますが、独立性がないとされる取引銀行の出身者からも有益な意見は得られると、ある企業のトップは主張しています。
すなわち、ひと口で企業統治といっても、個々の企業によって持続的成長や企業価値の向上につながる有効な手段や人材は異なるわけです。すべての日本企業が重視すべき共通の経営目標というようなものは本来あり得ません。今後はROE向上といった画一的・定量的な取り組みにとどまらず、各企業が抱える事情や環境に応じた個別的・定性的な企業統治のあり方が問われてくるのではないでしょうか。