1901年5月5日の開業式の様子。社屋にローマ字で「TATEBAYASHI FLOUR MILL Co.」と書かれている
西暦2000年、創業100周年を迎えた日清製粉。1900年(明治33年)より一貫して小麦製粉に取り組み、今日では国内消費量の37%を製造・販売するトップメーカーである。多角化も家庭用小麦粉やプレミックス、パスタ、小麦加工品が中心で、ともすれば堅実・安定というイメージでとらえてしまいがちである。ところがその歴史を顧みれば、そもそも創業から大いなる挑戦であったのだ。
当時、小麦粉は輸入が増え続けている状況であった。国内でも原料小麦は生産されていたが、伝統的な水車製粉による国産粉は機械製粉の輸入粉(メリケン粉)に品質面で劣っていたのである。創業者である正田貞一郎が育った上州・館林も水車製粉が盛んな土地で、貞一郎は「輸入粉の増大に手をこまねいて傍観していることはできない、機械製粉すれば輸入粉に負けないはずだ」と、近代的な機械製粉事業を興すことを決意した。
1900年10月に館林製粉株式会社を設立。国内でほかに機械製粉を行うのは、ほんの数社という状況で、アメリカのアリス・チャルマー社から製粉機(フラワーミル)を購入するまではよかったが、何しろすべてが手探り。機械が来たのはいいが、据え付けるにも技術者がいない。カタログや原書を解読しながら何とか取り付けて、工場の運転を開始したのは翌1901年の5月。その苦労は50年後の創立記念式典において自ら「言語を絶するような苦労をし、文字通り寝食を忘れて没頭した」と後進に語ったほどであった。