1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本精工株式会社 初代社長 山口武彦

1916~1918年 初の国産軸受を実用化

日本精工株式会社が設立された1916年頃、先進諸国では、軸受はすでに工業製品として確立されたものになっていた。アメリカでは自動車工業の成長とともに発展を遂げ、ヨーロッパでも、例えばスウェーデンのSKFという企業はすでに10年近い経験を積んでいた。日本では、第1次世界大戦を経て、ようやく機械工業興隆の兆しが見え始めたばかりで、軸受に対する認識は皆無だった。当然、専用機械などは1台もなく、日本精工では汎用機械を使い、SKFのカタログを参考にしながら、暗中模索のなか、試行錯誤が続けられた。こうした苦労の末、幾多の試作段階を経て、国産初の軸受製品を横須賀の海軍工廠に納入したのは、1916年半ばのことだった。

カタログ

現存する最も古い製品カタログ
(1918年7月作成)

日本精工の技術陣は、合資会社時代から海軍出身者で固められており、そのため創業当初の製品受注はほとんどが海軍からのものだった。海軍の製品検査は厳重なことで知られていたが、製造者と発注者が同じ海軍の技術者とあって、競うようにして厳密な製品検査が行われ、そうしたなかで日本精工の技術第一主義は培われていった。こうして海軍の艦船を端緒に、第1次世界大戦下の好況を背景にして、航空機、自動車と、軸受の需要はしだいに広がっていった。自動車についても、当時、日本ではまだまだ試作段階であったが、日本精工は1917~18年(大正6~7年)頃に、改進社という工場で製作されたダット号のために、国産第1号の自動車専用軸受を納入している。

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IRマガジン2001年11-12月号 Vol.52 野村インベスター・リレーションズ

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