1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本精工株式会社 初代社長 山口武彦

1891~1916年 欧米先進国の機械工業をめざして

産業革命以降の技術史は、摩擦との戦いの歴史といわれている。動力を伝えていくのは摩擦であるのと同時に、機械の駆動部分をスムーズに動かし、破損を防いで力を無駄なく伝えていくためには、摩擦に関する技術が不可欠となる。それを担うものが軸受だ。日本精工は創設当初から、日本の工業化をにらんでこの軸受技術に着目していた。先見の明というべきであろう。

軸受

軸受

創設者、山口武彦は、1891年(明治24年)東京工業学校(現・東京工業大学)機械科卒業と同時に、農商務省の特許局に勤めた。そこで機械の審査を担当しながら、欧米先進諸国の機械工業に対する関心を高めていたが、折よく、当時知己を得ていた高橋是清が日本初の製釘事業を興すことになり、1895年(明治28年)、そのための欧米視察を山口に命じた。欧米各国の工場を視察し、2年後に帰国した山口は、日本の技術水準が欧米に比べてはるかに遅れていることを実感し、1906年(明治39年)、日本の機械工業育成のために、輸入機械貿易業、山武商会を設立。その後1914年(大正3年)2月20日、機械工業に最も必要とされる軸受を生産主体とした日本精工合資会社を設立した。
当時日本の機械工業はまだまだ未発達で、軸受を必要とするような土壌はなく、日本精工合資会社は海軍向けの水雷ネジの製作からスタートし、その後、海軍の下請け工場として、さまざまな部品を製作した。この間、試作研究を続けていた軸受はようやく国産化実現の水準に達し、これを機に、1916年(大正5年)11月8日、新たに日本精工株式会社が設立された。

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IRマガジン2001年11-12月号 Vol.52 野村インベスター・リレーションズ

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