1960年4月、タイプライター試作品第1号が完成
1954年から日本ミシン製造は、編機、家電などの生産に乗り出し、多角化を開始した。
なかでも、BICニューヨークの再三にわたる要請で1961年に発売した欧文タイプライターは、全米で注文が殺到し不動の地位を築くにいたった。
創始者、安井正義(右)と副社長でもあった実弟である実一(左)。しばしば二人で、長時間議論を戦わすこともあったという。
こうした製品の多様化に伴い、「日本ミシン製造」という社名はもはや実態にそぐわなくなっていた。そこで新社屋の完成を機に、1962年、すでに大きな財産となっていた「ブラザー」の名称を冠して、「ブラザー工業株式会社」と社名を改めることとなった。
冒頭に記したように、その後のブラザー工業は高性能・低価格のファクシミリで全米を席巻し、現在では情報機器メーカーとして高く評価されている。「輸入産業を輸出産業にする」という創業の精神は実現したが、逆に国内ではいまだミシンメーカーのイメージが強い。こうした課題を踏まえて成長の基盤を作るために、2000年の年頭、安井義博社長(*現会長)は21世紀へ向けての3カ年戦略「CS B2002」(Challenge and Strategy to Brother2002)を打ち出し、改革に乗り出した。強く、優れた企業をめざすブラザーの挑戦が、再び始まろうとしている。