全米のファクシミリのシェアで6年連続No.1の地位を獲得(*2000年IRマガジン掲載時/PTR調べ)しているのが、実は、日本のブラザー工業であると聞けば驚かれる方も多いだろう。ブラザー工業は日本ではミシンメーカーとして認知されているが、海外では情報機器メーカーとしての知名度が高い。名古屋にあるブラザー工業のショールームには、創業者、安井正義の手になる「創業の精神」が掲げられており、そのなかに「輸入産業を輸出産業にする」という一条がある。大正から昭和初期、資源も技術もない日本で国産の工業製品を完成させることが至難であった時代に、さらにそれを輸出産業に育て上げることなど、夢のまた夢であった。しかし、正義の夢はそこから始まった。そして当然の如く、それは決して平坦な道のりではなかった。
創業者安井正義の父・兼吉。彼もまた、ミシンに魅せられた技術者のひとりであった。
安井正義は、1904年、名古屋市熱田区に6男4女の長男として生まれた。父兼吉は熱田歩兵工廠に勤務する職工であったが、無類の機械好きで、1908年、27歳の時に、自宅に「安井ミシン商会」の看板を掲げ、ミシンの修理販売業に専念することとなった。自宅の6畳間を改造したこの小さな修理工場が、ブラザー工業の萌芽である。兼吉は体が弱く、そのうえ、腕ひとつで10人の子供たちを養わなければならず家計は楽ではなかった。正義は父を助けて9歳の頃から仕事場に立ち、ミシンの技術を覚え、父の技術者魂を受け継いでいったのである。