1927年当時の安井一家。
6男4女の10人兄弟。
最後列一番左が創業者の正義。
その右隣りが四男の実一。
機は熟していた。1931年の金輸出再禁止と輸入関税の引き上げで、輸入ミシンは大幅な値上げとなったのである。加えて、労働史上に残るシンガーの大争議が勃発した。シンガー商法の機動部隊である全国のセールスマンが、アメリカの本社に待遇改善を要求して一斉にストライキに突入したのだ。結果は本社側の勝利で、多くのベテランセールスマンが退職した。この退職組が、シンガーを駆逐し国産ミシンを普及させようと、全国の組織網を持って販売面での協力を申し出てきた。1933年1月、正義は、名古屋市瑞穂区に木造平屋建ての新工場を完成させ、秋にはついに国産家庭用ミシンの量産化を開始した。そして1934年1月15日、安井ミシン兄弟商会を改組し、現在のブラザー工業の母体である「日本ミシン製造株式会社」を創立した。家庭用ミシン製造の夢を抱いてから11年目のことだった。