1. 金融そもそも講座

第70回「待たれる新産業」

少し昔話をさせてほしい。私とマーケットとの“そもそも”の出会いは1970年代の米国、ニューヨーク駐在時代にある。現在の世界経済は先行きが懸念されながらも株式市場は大きくは崩れずに比較的しっかりと推移し、ニューヨークのダウは13000ドルに近い。その一方でどこか“上に抜ける力”にも欠ける。「何が相場を上に抜けさせることができるか」を考えていて、当時のことを思い出したからだ。

1970年代

私がニューヨークに駐在したのは1976年の11月末から4年と少しである。行ったらすぐにサンクスギビング(感謝祭)になって、先輩の家でターキーをごちそうになった記憶がある。ニューヨークに別れを告げたのは、我が家の近くにあったダコタハウスでジョン・レノンが撃たれて死亡するという悲しい出来事があった直後だ。

その4年間ほぼ毎日欠かさずに行っていた仕事は、ニューヨークの株式市場をリポートすることだった。為替相場は大変動の時期で、「カーター・ショック」(あとで少し触れる)などいろいろあり、変動相場制初期の忙しい相場展開だった。しかし株式市場は動かない時期だった。私の記憶では、毎日ずっと同じようなダウ工業株30種平均の引値を書いていた記憶がある。とにかく動かないのだ。大きく見ると、800ドルと1000ドルの間を行ったり来たりしていた。今でも超長期のダウ平均チャートを引っ張り出して当時の相場推移を見ると、見事に横ばいになっている。

私のニューヨーク駐在の最後の2年間は「株式市場は死んだかどうか」が論争の的だった。米国の有力経済誌に「株式市場の死」というタイトルの記事が大々的に掲載されたのは、私が帰国した後の1980年代の初めだったと思う。経済誌がそんなタイトルにしたのだから、深刻さは分かるだろう。確かにそのころはニューヨークの株式市場はどん底で、ダウ平均が800ドルを割った時期もあった。

今と同じように、70年代も“ショック”の多い10年間だった。1971年にはニクソン・ショック(ドルと金との固定比率での交換停止)、1973年には第一次石油ショック、1979年には第二次石油ショックがあった。また、先に触れた1978年のカーター・ショック(大幅利上げなどドル防衛策)や、1979年のボルカー・ショック(大幅な金融の引き締め)もだ。

株式市場の死

筆者が当時のニューヨーク・ダウの指数を「800ドル」とか「1000ドル」と書いたのを、「間違いじゃないのか」と思った人もいるかもしれない。なぜなら、今の相場は13000ドルに近いところにあり、相場水準は当時の10数倍の高さにあるからだ。ではいつ“上に抜けた”のか。それは80年代の半ばからだ。80年代前半はある意味、今の市場環境と似ている。ボルカー・ショックにより世界は70年代の高率インフレの時代から一転して「ディスインフレーション」の時代に入っていた。現在の物価状況は「デフレ」と表現されるが、いずれも「インフレ率が低いか横ばい、場合によっては低下」という意味で、インフレとは対語にあることが同じである。

筆者は時々東京市場を見るときに、「8000円から10000円の間を行ったり来たりの相場は、70年代から80年代初めのニューヨーク市場に似ているな」と思う。どちらも相場が動かずに、人々の株式市場への関心が薄れ、出来高も低迷し、「株式市場の死」がささやかれているという意味では似ているからだ。

登場せよ新産業

80年代の半ばからのニューヨーク株価の大幅反発にはいくつかの要因がある。“弱い”印象のカーターからレーガンに大統領が変わり、米国の政治的雰囲気は一変した。「レーガン・ドクトリン」を打ち出し、ソ連など社会主義体制に対してのタカ派外交とその勝利によって「唯一の超大国」に向かっていたし、経済政策のサプライサイドへの大きな転換もあった。政府も株式取引に対して主に税制面での優遇策を相次いで取った。

加えて筆者が80年代で思い出すことといえば、コンピューターの著しい進歩である。私が日本に帰ってきたころから、都内の各所にコンピューターのショー・ルームができた。私が最初に買った「文豪8N」というNECの大きなワープロは当時で50万円して、インストラクターが2日も我が家に来た。その後のコンピューターの爆発的な普及とインターネットの発達はいうまでもない。つまり80年代は技術的ブレークスルーの時代だった。

東京株式市場の低迷が「いつ終わるのか」を筆者はたまに考える。株式市場に関心がある読者も同じだろう。今の政治的混迷では、政治がなかなか「指導力」を発揮できない。昔ほどの力はないとはいえ、政治はその国の経済の方向性を決める重要なかじ取り人だし、トップに立つ人が持つ雰囲気で国やマーケットの雰囲気も変わる。ということは、今の混沌から国民の多くが納得できる政府、政権が必要である。

しかし、もっとも重要なのは「新たなテクノロジーの登場」ではないだろうか。新しいテクノロジーは、産業を活発化させ、人々の興味をかき立て、お金の動きを誘発し、雇用を含め経済活動全般を活発化させる。そういう意味では、原発に代わる新しいエネルギーの登場など、いくつかの可能性に期待したい。何よりも原発に依存しながら、原発事故によって「理想的なエネルギーではない」となってしまった状況は、成長の限界を感じさせる事態だ。成長の限界を感じながら株価の上値を思い浮かべるのは難しい。

太陽光の電気への転換効率を劇的に引き上げる技術、地熱発電など、今まであまり注目されてこなかった新しい安定的なエネルギー源の開発がエネルギー面では有望分野だと思う。また、ITをうまく活用した効率的な社会の仕組みが見えてきても、市場は活発化するだろう。アンチエイジングなど健康分野でも大きなブレークスルーを期待したい。いずれにせよ、今という時代が抱える閉息感の打破ができるかどうかがポイントだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

バックナンバー2012年へ戻る

目次へ戻る