1. 金融そもそも講座

第63回「“常識”こそ経済・金融の核心」

前回の「ギリシャとドイツは何が違う?」を読まれた方は、「貯蓄」とか「借金」とか「稼ぎ手」という日常用語や、「しっかりもののドイツ人」「“明日はなんとかなる”と考えるギリシャ人」という比較などにより、「案外常識的なことで説明できるんだ」と思った人もいるだろう。その通り。実は金融も経済も肝心なところは「常識」から理解できることで構成されている。金融や経済を学ぶにしても、一般投資家として市場に参加するにしても、重要なのは常識だ。

ことわざにポイントが

市場をいろいろな角度から長く見てきて今更ながら強く思うことは、「(金融、経済どちらにせよ)昔から多くの人が残してきた言葉にこそ真実が含まれている」ということだ。私もそうだが、多くの人は祖父母や両親から「お金の無駄遣いはやめなさい。しっかり貯金しなさい」と言われた記憶があるだろう。ギリシャにしろ日本にしろ、政府は入ってくる以上のお金を国家財政に使ってきた。これを「歳出超過」という。

家庭であれば銀行とか消費者金融などから借金しなければならない。国家の場合は他国に借りると面倒だから、市場で債券(国債)を発行して調達することが多い。債券発行とは要するに「借金」である。昔から我々日本人は「借金をするな。してもすぐ返せ」と教わってきたはずだ。その通りで、すぐに返せばよいのに、返せないほど借りるからギリシャのようになる。

日本がギリシャにならないのは、国民に「貯金」があるからだ。その合計額は1500兆円近くもある。毎年、国家予算の半分近く(40兆円余り)を国が借金していても、それは身内である国民から借りれば済むことなので、IMFなどの国際金融機関からああしろこうしろと日本政府が言われることもないし、市場から「もっと高い金利を払わなければ貸さない」と脅迫されることもない。日本の国債利回りは非常に低い。それも国民の貯蓄のおかげなのだ。

ここがギリシャと日本の大きな差だ。ギリシャ国民も国債を買ってはいるが貯蓄が少ないからとても全部は買えない。海外諸国の投資家に頼ることになる。だからギリシャはあちこちから批判される。海外に財政を依存しているのだから、文句を言われても仕方がない。日本を救っているのは結局、貯金なのだ。「貯金は大事だ」という昔の人の言葉が見事に生きている。国のお財布も借金しなくてよいように変えなければならない。

ケインズ理論の限界

金融や経済を学ぶと、いろいろな理論が登場する。これが経済や金融を難しいもののように見せている面がある。経済学はノーベル賞の対象となっている他の学問(物理学や化学など)と違って、全く正反対の理論を唱えても共に受賞対象となる唯一の学問である。それは経済状況が変われば、通用する理論も変わってしまうからだ。

よく知られている「ケインズ理論」を例に取ってみよう。それはごく大まかに言えば、景気の悪いときは政府が支出(公共投資による有効需要の創出)をし、お金の回りを良くして景気や雇用を支えることが必要だ、という考え方だ。ケインズがこの考え方を確立した英国は、戦後の先進各国における経済政策の中心的な考え方になった。

その代表例は大恐慌に苦しんだルーズベルト大統領によるニューディール政策だ。その政策が多くの人を悲惨から救ったことは確かである。非常に重要な政策であり、今でも経済政策の第一に考えられている。日本でもこの考え方に基づいて、景気が悪くなると政府が財政支出を増やして景気を下支えする、ということが繰り返されてきた。効果があったときもあったが、そのツケも大きかった。巨額の政府借金だ。

政府が借金を増やしながら公共投資を繰り返してきた戦後の歴史の中で、明らかになったことがある。それは、回を追うごとに株式市場から好感される割合が低くなってきているということだ。昔は「公共投資の発動」と聞いただけで株式市場は大きく値を上げたものだ。しかし最近の株式市場は、「公共投資の増額」と聞いただけで「日本の財政赤字の増大」を連想するようになり、これを歓迎していない。

非ケインズ効果

北欧では面白い例が報告されている。1980年代のデンマークやスウェーデンで、「増税したら景気が良くなった」という現象だ。「不況になったら減税や公共投資をする」というのがケインズの考え方の基本だから、80年代の欧州2カ国で実際に起きた現象は説明できない。なぜケインズ理論に反する現象が起きたのか。考えられたのは、「国の借金が一定レベルを超えると、そのこと自体に国民が不安になって支出を抑制する」「逆に増税が決まって国の先行きが見えてくると、人々はそれに安心して支出を増やしたのではないか」ということだ。「非ケインズ効果」と呼ばれる。

これは常識の中で理解できる。例えると、一家の主が大きな借金をしているとする。その主がさらに借金して家族に「お金を使え」と言っても、家族は不安で消費を増やす気にはならないだろう。いつか借金取りが来ることは目に見えているからだ。

筆者の世代では、大きな企業に就職が決まっただけで車を買ったものだ。「将来の所得が約束された」と考えたからだ。人々は、現在の所得よりも、しばしば将来への確信で消費する。国の将来に対して、それが増税でも「これで良くなる」と思ったら、安心感は増す。もしかしたら、それは今の日本かもしれない。日本国民が抱える不安要素の一つは、明らかに国家財政の先行きだからだ。

この不安は景気にとっての足かせになっている。国家財政の危機故に「年金に対する不安」は日本国民、特に若者の間で強い。「もらえないのではないか」「あっても極めて少ないのではないか」というものだ。年金不安は、若者の消費を著しく抑制する。「将来がある程度約束されてこその今の消費」という常識に照らして、今の日本の財政はあまりにも不安だ。

国の借金が少ない時はケインズ経済学が有効、逆の時には非ケインズ効果に期待するという使い分けは、案外「常識」の下でこそ出てくる。理論はしばしば状況無視だ。それに対して、昔から言い伝えられていることわざや格言、つまり歴史の知恵、そしてそれらを核とする常識には、汎用性と柔軟性がある。ではその「常識」はどこから得るべきか。大切な老後資金を非常識なスキームに投入する悲惨な事件も後を絶たない。次回は、そういった問題にも触れてみたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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