1. 金融そもそも講座

第110回「地政学的リスクと相場パターン」

ウクライナ情勢の緊迫化に関連して、前回は「地政学的リスク」を取り上げた。今回は「地政学的リスクと相場パターン」ということで、それが発生したときに見られる典型的な相場の動き(パターン)があるので紹介してみたいと思う。無論、リスクの発生とそれに対応したマーケットの変動にはそれぞれのケースで違う点がある。しかし、リスクに対するマーケットの時系列的な動きは多くの場合、極めて似ている。それを紹介する。

まずは“売り”から

今回のウクライナを巡るような危機が生じたときにマーケットで“かっけ反応”として生ずるのは、「発生→狼狽(ろうばい)的な売りの殺到→相場の大幅下落」という現象だ。ウクライナ情勢で見ると3月10日からの一週間、特に半ば過ぎまでの世界の株価の動きには明らかに動揺が見られた。よって相場も大きく下げた。特に欧州や日本の株の下げが目立った。ロシアがウクライナのクリミア自治共和国(当時)に偽装兵を急激に増やし、3月16日のクリミア自治共和国住民投票が接近し、先進各国が「対ロ制裁」の脅しをかけた頃だ。危機(リスク)はまだ初期段階にあって「新冷戦の勃発」の見方もあり、これから何が起きるのか誰もが先行きを見通せない時期だった。

この「誰もが先行きを見通せない時期」というのが重要である。あらゆる地政学的なリスクは「世界の枠組みをどのくらい変えてしまうのか」「経済活動はどう変化し、お金の流れはどう変わるのか」が最初に読めない。その時期だからこそ、マーケット参加者の誰もが警戒する。一部の人は、「大変なことが起きそうだから、マーケットで持っているものを売って、投資をキャッシュかそれに近いものにしておこう」と思う。

危機の臭いを嗅いだときになぜ人々が「キャッシュかそれに近いもの」にお金を替えたがるかというと、危機に際してその価値が相対的に上がるからである。例えばの話、危機の時に一般の商店に行って株券を見せてもモノは売ってくれない。だいたい今は株券さえ交付されず、デジタル情報でしかない。しかし常に使っている紙幣やコインを持って行けば売ってくれる。キャッシュには常に「いつも誰しもがこれを受け入れてくれる」という安心感がある。危機の際に役立つのはまずキャッシュであり、自国通貨に信用がない場合は、例えば米国のドル紙幣だったり、またはそれに近い信用できる先進国の短期国債である。

よく「ゴールドは危機に強い」と言われるが、手にしたことがある人は分かるだろう。実に重い。あんなものは危機発生で急いでいるときに持ち運びはできない。だから人々は「危機」と聞くと現金かそれに類似したものを手元に厚くする傾向がある。これは世界各国共通だ。投資家の行動としては、株式などのリスクのある資産の売却だ。その分、キャッシュ比率は引き上がる。緊急避難だ。ウクライナ情勢を受けた株価の下落もその現象だった。

そして“戻り”

しかし地政学的リスクの発生で逃げた資金も、必ず株式などのマーケットに戻ってくる。多少の時間のずれはあるが“例外なく”である。それには理由がある。

  • (1)時間の経過とともに、実際にはいかほどのリスクなのか明らかになって、当該リスクに対する人々の考え方も「恐怖・不安」から「分析・消化・今後の展望」に切り替わっていく
  • (2)たとえ展望があまり開けなくても、人々はそのリスクに慣れる。リスクは存在し続けるが、それを所与の条件とみなすようになる。つまり危機と共存できる気持ちになり、実際に共存できる
  • (3)世の中の投資家の多くは資金をずっと利回りのないもの、低いものには置いておけない。増殖(キャピタルゲイン、インカムゲイン)が目的であり、それが“趣味”でもあるし仕事だからだ。となれば投資家は、リスクのある市場に戻らざるを得ない

例えば今回のウクライナ情勢を考えてみると、最初は「米ソの新たな冷戦」というような言葉が聞かれたが、「当面の領土紛争はクリミア半島に限定されそうだ」「米欧や日本の対ロ制裁も一部ロシア政治家の資産凍結や渡航禁止だけで世界経済の流れを大きく乱すようなものにはならない」という見通しが徐々に立つようになる。それが3月16日のクリミア自治共和国住民投票の前後、今回も人々の恐怖や不安感は低下し、株価は世界的に反発した。

危機との共存

上記の(2)は筆者が「危機の常態化」と呼んでいるものだ。例えば日中間の懸案になっている尖閣問題を考えてみる。それは明らかに地政学的リスクだ。今でも何らかのきっかけで日本と中国が尖閣周辺の海や空で衝突する危険性は残っている。両国の艦船は非常に近い距離で警告し合っており、哨戒機も飛んでいる。何があってもおかしくない。そういう意味では常にそこには地政学的リスクが存在する。

しかし、危機発生当初は「中国の艦船が尖閣の接続水域や領海に入った」といえば大きくニュースになったが、繰り返されるようになると新聞も大きくは扱わなくなる。「危機の常態化」である。“いつもあること”なのでマーケットは大きな材料にはしなくなる。「もし日中戦えば」といった仮のシナリオは投資家の頭の中には常にあるかもしれないが、そればかりを考えている人はいない。

そもそも投資家というのは実に忙しい存在だ。(3)に関連するが、投資家はある意味「義務・責任・自分に対する評価の上下のリスク」を負って資金を動かしている。他人の資金を動かしている機関投資家やヘッジファンドのファンドマネージャーは高い利回りの達成が仕事になっているし、個人の投資家も「うまく資金を動かして増やそう」と思ってやっている。とすると、かっけ反応でマーケットから一端逃げても、素早く戻らないとチャンスを逃すことになる。地政学的リスクからのマーケットの戻りが早いのには理由がある。

地政学的リスクは「大変な事が起きる」と人々を不安にさせる。しかし世界全体の経済活動に長期にわたって大打撃を与えるような出来事というのはそうは起きない。何があっても人々は生き、生活し、食べ、消費し、それらに関連するサービスを提供する企業は必要とされる。常に「life goes on」だ。人々の生活や暮らしに必要とされる企業の価値を表象する株価には、変動はあっても、地球が滅亡しない限り変わらない価値があるのだ。

以前、筆者は「マーケットとは“波”である」と書いたが、地政学的リスクが巻き起こす波は比較的大きな、そしてシャープな波だといえる。しかしそれもやはり中心回帰が運命である。そういう意味では、地政学的リスクの発生はマーケットと対峙する人にとっては、時に大きなチャンスだともいえる。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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