1. 金融そもそも講座

第91回「マーケットとは“波”である」

日本株の値動きが激しい。昨年(2012年)末から持続的に急ピッチに上がったと思ったら、5月末から6月にかけては小幅な上げを示す日を挟みながらも、数日おきに比較的大幅な下げを繰り返すといった状況だ。上げ下げにマスコミの報道もかまびすしい。しかし短期的な、日々の動きに惑わされてはならない。長期的な視点を忘れずにマーケットを見ることが必要だ。短期の動きに一喜一憂すれば、マーケットに弄ばれるだけだ。マーケットを見始めたばかりのこのコーナーの読者にも忘れてほしくないことがある。

詰まるところ“波”

結論から言ってしまうと、マーケットとは詰まるところ“波”である。天まで駆け上がる相場(波)もなければ、地獄に落ちる相場もない。このことをしっかり押えているかどうかが、その人のマーケットに対する考え方、実際の行動を劇的に変える。

「波」というと不思議に思う人もいるかもしれないが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中で最も有名な「神奈川沖浪裏」を思い出してほしい。勢いよく上に伸びた波が頂点に達し、右下に向かって砕けている。自然界だけでなく相場の世界でもこれは起きることだ。しかし砕けた波頭がそのまま海に深く潜ったままになるということはない。また上がってくるのだ。こうした上下動する“波”を支えているのは“海面”だ。

人々は生活を続け、買い物などの経済活動をしながら社会を構成している。物品・サービスを提供している企業には決して捨てることができない価値があり、株式市場はそういう価値を生み出す企業の株を取引している。なくなることのない経済活動、つまり“海面”があるので、株式相場や為替相場はその絶えることなき時間の経過の中で、海面から著しく乖離(かいり)することなくどこかに出会値のラインを残しながら波形を描き続けるのだ。

繰り返すが、「マーケットとは詰まるところ“波”である」という認識は重要だ。この点をしっかり認識していない投資家は、上げ相場に直面すると「この相場は際限なく上がり続けるのではないか」との錯覚にとらわれ、いったん利食った後にその上の値段でまた買うといった行動を平気でするからだ。「マーケットは波だ」ということを知っていれば、買って利食った後の投資行動は、「また相場が下がるのを根気よく待って買う」か「今度は売りから入る」かだと思うはずだ。

地獄には落ちない、天にも昇らない

「適正な相場水準」などというものはなかなか見つけ出せるものではないから、相場はいつも揺れている。しかし一方的に上げ続ける相場がないのと同じように、どこまでも下げ続ける相場もないのだ。この不規則に上げたり下げたりする“波”とどう対峙(たいじ)するかが投資の醍醐味だ。

確か、リーマンショックの最中だったと思う。ニューヨークの株が大きく落ちたときに、あまりマーケットに詳しくない経済評論家が夜のテレビに出ていて、「このペースで株価が落ちれば、ニューヨークの株はゼロになってしまう」と言ったので、私は吹き出してしまった。4億の人口を構成する米国が一瞬に消えてなくなるのなら分からないでもないが、リーマンショックがあっても彼ら(米国人)は生活を続ける。それに思いを致せば、「株価がゼロになる」なんてことはない。ましてや米国の企業はその多くがグローバル企業で、顧客は世界中にいる。日本の多くの大企業もそうだ。ニューヨークの市場にはそういうグローバルな企業が上場されている。

「マーケットは波だ」という自覚があれば、相場が上げすぎのときは“いつか”波頭は砕けると考えるだろうし、あまりにもマーケット全体が悲観的になったなら、「これから相場は上に向かう可能性が高い」と考えるのが自然である。

永遠に形成される波形

第59回「ウォール街に伝わる“格言”に学ぶ」でジョン・テンプルトンが残した有名な「強気相場は絶望の中で生まれ、懐疑とともに育ち、楽観により熟し、陶酔のうちに終わる」を紹介した。これもよく考えると「相場は波のようなものだ」と言った上で、「売り買いのタイミングは人々の心理の逆にある」と言っているに等しい。悲観と懐疑の中で徐々に盛り上がり、楽観の中で一段と高くなり、そして誰もが「この相場は素晴らしい」と思った陶酔状態の中で波頭が砕けて落ちるというイメージだ。砕けた波頭は波間に消えていったん海面下に落ちるが、その後のまたの浮上を待つという繰り返しである。

むろん、一つ一つの波には異なる大きさがある。例えば、善しあしの問題は別にして、民主党政権下の日本の株式市場は“さざ波”状態だった。これといった成長戦略が民主党にはなかったから、市場は波立つことさえも拒否していたように見えた。今の自民党政権は“経済”を中心に置いたから、マーケットも最初は大きな波で迎えた。ただし、何回も言うように「天まで昇る相場はない」のである。

「いや、この下げ(上げ)は、自分にとって“地獄のマーケット”だ」という人がいるかもしれない。しかしそれは、その人が実力以上のポジションを抱えているという証左にしかならない、と思う。相場に使うお金は、自分の懐具合を勘案しながら決めていかねばならない。

それにしても、地球上の生きとし生けるものは全て“水”のお世話になっている。生命体である人間がつくり出す相場も“水”の性格を色濃く持っていると“波”の解説をしながら思った。まったく理論化はできていないが。最後にもう一度書く。「マーケットは波である。天まで上げる相場がなければ、地獄まで落ちる相場もない」

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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