1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本郵船株式会社 創業者 岩崎弥太郎

1952年~ 新たな100年の夢へ向けて

箱根丸

日本初のコンテナ船箱根丸出帆風景(1968年 東京)

第二次世界大戦で日本の海運は壊滅した。日本郵船の船は空母に改造されたり、輸送船として徴用され、世界に誇った豪華客船や高速貨物船は、氷川丸1隻を除いてすべて失われた。そして社員5,312人の尊い命が犠牲となった。ゼロからの再出発だったが、1952年、日本は独立を回復し、やがて日本郵船も戦前の定期航路をほぼ再開した。高度経済成長が始まると、日本郵船はタンカーを建造して総合海運会社への第一歩を踏み出し、鉄鉱石、石炭、木材、セメントなど、次々に専用船を開発した。1964年に三菱海運株式会社を合併した日本郵船は、日本が経済大国となる頃には、再び世界有数の船会社となっていた。この頃世界の物流に革命が起こっていた。コンテナの登場である。この新しい物流システムを実現するには、コンテナ専用船と、広大なコンテナターミナル、海陸一貫した輸送システムが必要になる。コンテナへの進出によって、日本郵船の総合物流のキャリアが開始され、現在では、陸・海・空の複合輸送ネットワークを備えた総合物流輸送業「ロジスティックス・メガキャリア」として、新たな展開が始まっている。日本とともに発展してきた日本郵船は、運航隻数550隻(2001年3月末現在)という世界でもトップクラスの船会社となった。7つの海を制覇し、創業以来の夢は実現された。そして今、新たな100年の夢へ向けて、巨船は動き始めている。

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IRマガジン2001年7-8月号 Vol.50 野村インベスター・リレーションズ

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