欧州航路第1船土佐丸の出帆風景
(1896年 横浜)
三池丸初入港時の米国シアトル市内での歓迎パレード
(1896年)
1896年、日本郵船は欧州、米国、豪州に一挙に定期航路を開設し、世界の海運界を驚愕させた。それまで日本の定期航路は遠洋といえどもインド洋までだったが、それが太平洋を制覇し、インド洋、地中海を経て大西洋に至ったのだから大事件である。
これまで日本の第一線で活躍していたのは2,000t級の船だったが、世界の定期航路に参入するには5,000t級、14ノット以上の新鋭船が必要になる。それも、三大航路を定期的に運航するには計18隻が必要だった。さらに、それを動かす人材、世界規模の支店・代理店網もいる。もちろん国際的な信用は欠かせない。いかに日本最大の株式会社といわれた日本郵船でも、これは賭けだった。日清戦争の勝利、政府の海運保護政策などが後押しとなったが、その核となったのは、日本の将来へ向けて、今こそ日本郵船がこの道を切り開いていかなければならないという使命感であった。
1896年3月15日、三大航路の第1船として土佐丸が欧州航路へ出帆していった。大冒険ともいえた三大航路開設は大成功を収め、これ以降NYKの名声と信用は世界中に広がり、日本は一等国になったと称された。1915年(大正4年)には、念願の世界一周航路も開始され、第一次世界大戦を経て日本郵船の航路は世界中に張り巡らされ、日本の輸出も世界のすみずみまで伸びていった。