1929年(昭和4年)10月11日、浅間丸がサンフランシスコへ向けて横浜港を旅立っていった。豪華客船時代の幕開けである。客船はその国の文化の伝え手といわれる。船自体の良さもさることながら、質の高いサービス、マナーを欠かすことができない。それだけきちんと培われた文化を持ち、優れた客船を持たなければ、欧州では名門船会社とは認められない。豪華客船は乗客にとっても船会社にとっても大きなロマンなのだ。浅間丸に続いて、サンフランシスコ航路に竜田丸と秩父丸、シアトル航路に氷川丸、日枝丸、平安丸を就航させ、日本郵船は豪華客船全盛期を築いていった。そのサービスは高く評価されたが、とりわけ食事は「帝国ホテルに優るとも劣らない」と評判で、ロックフェラーやチャップリンも、その食事に舌鼓を打ったひとりだった。こうして日本の海運は全盛期を迎え、1937年、日本郵船は就航船87隻、総t数63万5,000t余を所有し、戦前では最高の営業収益をあげた。しかし、時代は徐々に暗いほうへ動き始めていた。1941年、日本は太平洋戦争に突入した。
浅間丸処女航海出帆風景(1929年 大阪)
浅間丸船上のヘレン・ケラー女史
諏訪丸船上のチャップリン