1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

TDK株式会社

1947~1954年 新展開

戦後、日本の産業は壊滅し、軍部からの需要が売り上げのほとんどとなっていた東京電気化学工業の生産も激減した。
再起をかけてラジオ用コアなどを細々と生産していたが、1947年10月、GHQ(連合国軍総司令部)の通達が救世主となった。

日本のラジオはそれまで並四方式と呼ばれる再生回路方式を採用していたが、ノイズが多いため、今後生産するラジオはすべてスーパーヘテロダイン方式を採用することという通達であった。この方式は中間周波トランスを使うが、中間周波トランスを作るにはフェライトコアを使わなければならない。
フェライトコアを生産しているのは東京電気化学工業一社だけであった。40社近くあったラジオメーカーが一斉にスーパーヘテロダイン方式に切り替えたことから、フェライトコアの注文は生産能力をはるかに超えるほど殺到した。この回路方式の切り替えは、東京電気化学工業の経営を安定させただけではなく、新たな展開を促すことになった。

コンデンサ

TDKが生産した第一号のコンデンサ、並列円筒コンデンサ

1950年代に入り、日本が戦後の混乱期を脱した頃から、ラジオの需要が急増し始めた。中間周波トランスはフェライトコアとセラミックコンデンサを組み合わせて作るが、しだいにセラミックコンデンサの生産が需要に追いつかなくなってきた。これがフェライトコアの売り上げにブレーキをかけることを懸念した東京電気化学工業は、1950年10月、コンデンサの自社生産を決定した。完全な後発であったが、電気通信研究所(旧電電公社の研究所)に技術者を派遣して指導を受けるなど苦労を重ね、1954年4月、生産決定から3年半を経て本格的な量産体制が整った。
この間、1953年2月にNHKによるテレビの本放送が始まり、民放も同じ年の8月から放送を開始したことでテレビの時代が幕を開けた。
東京電気化学工業はテレビ用コンデンサにも進出し、現在のチップコンデンサにつながる新たな道を切り開いていった。

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IRマガジン2006年秋号 Vol.75 野村インベスター・リレーションズ

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