TDKという社名を知っていても、その意味を知っている人は少ないだろう。TDKとは東京電気化学工業の頭文字で、1983年まではこれが正式社名だった。
カセットテープでその名を知られたが、創業は1935年と磁気テープの歴史より古く、じつはカセットテープはその商品群の一角にすぎない。カセットテープが市場の表舞台から姿を消した現在でも、TDKは4期連続で増収増益を記録しているのだ。社名と同様、知名度は十分に高いが、その事業については案外知られていない。知られているのに知られていない会社。それがTDKという企業である。
TDKの歴史を振り返ろうとするなら、必ずフェライトの話から始めなければならない。フェライトとは金属酸化物をセラミックとして焼結した磁性体である。
東京工業大学電気化学科首席教授の加藤与五郎博士と武井武助教授による日本オリジナルの発明品で、1932年に特許を取得(特許番号第98844)している。
TDKの創業者、齋藤憲三(1939年)(左)と加藤与五郎博士(1935年)(右)
1935年の夏、その加藤博士のもとへ、加藤博士の教え子である小泉勝永に連れられて齋藤憲三という男が訪ねてきた。
齋藤は1922年(大正11年)に早稲田大学を卒業したあと故郷の秋田に帰り、不況にあえぐ農村に何とか事業を起こそうと試みていたが軌道に乗らず、事業の種を探していた。
齋藤の父は齋藤農法といわれた乾田馬耕の農法によって米の収穫を高めた農政家で、衆議院議員に8回連続当選した地元の名士であった。
父の伝を頼るうち齋藤は小泉勝永と出会い、電気化学という学問の存在を知って事業化の種を感じ取ったのである。
齋藤に会うなり、加藤博士は「日本に本当の工業はない」と話し始めた。日本の工業はすべて欧米からの借り物であり、日本人の頭脳から生まれたものでなければ日本の工業とはいえない。日本人による独創性のある工業を育てなければならないと、加藤博士は語った。博士の言葉に強い感銘を受けた齋藤は、博士の発明品のなかで最も独創的だと誇れるものは何かとたずねた。用途も工業化の可能性もまったく未知数だが、と言いながら、その時博士が見せてくれたものがフェライトであった。