理化学研究所の広報誌『理研ニュース』に、「原酒」というコーナーがある。毎回、研究者の洒脱なエッセイを楽しみにしている。
「原酒」とは、“研究を醸すモルト”の意味に解釈していたが、“原子力から酒まで”という幅広い研究フィールドを示すものであることを、今回の取材で知った。それを育てたのが、第三代所長大河内正敏である。
大河内正敏は、1878年(明治11年)に、上総(千葉県)大多喜藩主だった子爵・大河内正質の長男として生まれた。父・正質は、鳥羽伏見の戦いで幕軍総指揮官をつとめている。
学習院初等科では、後に大正天皇になる皇太子のご学友をつとめた。第一高等中学(旧制一高)から帝国大学工科(東大工学部)造兵科に進み、成績優等の「恩賜の銀時計」を受けている。その後、欧州留学を経て、1911年に東京帝大工学部教授になった。専門は弾道学である。
大河内は、工科の授業に初めて物理の実験を採り入れるなど、理論と実践の融合に力を注いだ。この自由な発想は、総合科学を必要とする兵器の研究に身をおいたこととも関係があったろう。