家具先進国へ輸出開始
日本では事務用家具は木製が主流だったが、1952年にJIS(旧)規格(日本工業規格)が制定され、メラミン化粧板が発売されたことで、日本のオフィスでもスチール家具の時代が始まった。戦後すぐに米軍のスチール家具の製造を開始したオカムラは日本のオフィス家具をリードしつづけ、現在、トップメーカーの地位は盤石のものとなっている。
イタリアのジウジアーロがデザインした、エルゴノミック・メッシュチェア「コンテッサ」。2003年に北米・北欧への輸出を実現したオカムラの世界戦略製品第1号である
2003年1月に発売された「コンテッサ」は、エルゴノミック・メッシュチェアと銘打たれた最新の椅子で、人間工学研究の成果を結実させたオカムラ技術の集大成ともいうべき製品である。アルミフレームの美しいデザインは、フィアット・パンダやフォルクスワーゲン・ゴルフなどの車で知られる世界的なインダストリアル・デザイナー、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロの手による。オカムラはこの「コンテッサ」によって、日本のオフィス家具では初めて、北米と北欧への本格的な輸出を開始した。特に家具の本場北欧への輸出を実現させたことは、オカムラの技術力の高さを物語るものである。現在のオカムラは、オフィス環境を中心に、スーパーなどの店舗用什器、自動倉庫などの物流システム機器、各分野のセキュリティ・マネジメント、公共施設用什器、建材、そしてトルクコンバータなど、多角的に事業を展開している。
冷凍冷蔵ショーケース「フォンターナ」シリーズ
航空機の技術者が集まってスタートを切ったメーカーだけに、高い技術力は伝統的に持ち合わせているのだが、オカムラのモノづくりの原点となっているのはそれだけではない。航空機メーカーの血筋を引く技術力をより高め、磨いてきたもの──それは、企業は協同体であるという「協同の工業」の発想である。集まった技術者たちが力を合わせ、まず市場で求められていた鍋やフライパンを作り、それから米軍の要請に応じてスチール家具を製作する。これが軌道に乗ると、そこで生み出された資金で今度は飛行機や車の生産に乗り出す。スチール家具を軌道に乗せたのは飛行機の機体を作る薄板加工技術であり、飛行機を飛ばしたのはスチール家具が生み出した資金だった。それぞれの事業が次の事業を生み出し、各分野の技術が影響しあってオカムラの生産技術を高めていく。これが「協同の工業」オカムラの生命力である。
産業車両用トルクコンバータ
オカムラのオフィス家具製作の技術は、米軍のスチール家具を見本にしてスタートし、現在ではそれを北米・北欧に輸出するレベルにまで高めている。トルクコンバータもアメリカ製のスクーターを参考にして開発したものであり、ショーケースなどの什器は、アメリカからスーパーマーケットの概念が輸入された時、その発展を予測して開発に乗り出したものである。輸入された文化や技術を研究し、より高めて独自の技術として送り出してきたのが、オカムラである。オカムラはこれまでも技術提携などを通して海外とのつながりが深かったが、2003年はいよいよ、家具先進国である北米、北欧各国への輸出を開始した。輸入された文化から始まった技術が熟成し、満を持して世界のトップクラスへと歩みを始めたわけである。「協同の工業」の発想が世界を舞台にどんな展開を見せるか。注目すべきはその点である。