1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本電信電話(NTT)株式会社

1985~1999年 アナログからディジタルへ

ケーブルの火災事故

1984年、東京の世田谷局でケーブルの火災事故が発生。約8万9,000の加入電話が不通となった。電電公社では受付センターで受けたメッセージを相手先まで届けるサービスを実施、現代の飛脚といわれた。
これ以後、ケーブルの防火対策を強化するとともに、回線を複数の電話局に分散収容する異経路の専用サービスを開始した

積滞解消、全国自動即時化が達成され電話がより身近で便利なものになってくると、ユーザーニーズは高度化・多様化し、電電公社は国策としての電話の普及という役割をひとまず終えた。こうした状況に対応し、効率的な事業運営を可能にするため、また、市場に競争原理を導入してさらに活性化させるため、電電公社は民営化されることとなった。
1985年4月、日本電信電話(NTT)株式会社が発足し、明治以来の電信電話事業の官営の歴史にピリオドが打たれた。同時にそれまでの「公衆電気通信法」は「電気通信事業法」に改正され、電話機や回線利用制度は自由化された。1987年、第二電電(現KDDI)、日本テレコム、日本高速通信(現KDDI)の3社が長距離電話サービスに参入し、電話事業は「独占的環境下における量的拡大の時代」から「競争環境下における質的高度化の時代」に入った。

ショルダーホン

1985年、車外利用型自動車電話であるショルダーホンのサービスを開始し、87年には携帯電話サービスを開始した

高度情報化社会がいよいよ本格化しようとしていたが、こうした時代への対応は電電公社時代からすでに始まっていた。2大目標を達成した1979年、電電公社は、ジュネーブで開催された「テレコムフォーラム'79」において「高度情報通信システム(INS:Information Network System)構想」を提唱した。これは「より安く、より便利で豊富な電気通信サービスを、住んでいる場所や距離に関わりなく、均一な料金で、いつでも、あまねく公平に提供すること」を理念として掲げたもので、そのためのインフラストラクチャーとしてネットワークのディジタル化が不可欠であると指摘した。NTTはこのINS構想に基づいて交換機や伝送装置のディジタル化に着手、1982年に初のディジタル交換機が実用化された。その後ネットワークのディジタル化は徐々に進展し、1997年、NTTはすべての市外回線のディジタル化を完了させた。

特設公衆電話

1995年、阪神大震災の際には、臨時で特設公衆電話が設置され、被災者が殺到した

一方、この頃、1985年のNTT発足以降も継続して行われていたNTTの経営形態見直しの論議も最終局面を迎えていた。1996年12月6日、NTTと郵政省の間で「NTTの再編成についての方針」が最終的に合意に至り、NTTは分割再編成されることが決定した。
1999年7月、持株会社とNTT東日本、NTT西日本が発足し、同年5月に設立されていたNTTコミュニケーションズが営業を開始した。ネットワークのディジタル化も完了し、名実ともに「独占的環境下における量的拡大の時代」が終わって、いよいよ「競争環境下における質的高度化の時代」が本格的に始まろうとしていた。

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IRマガジン2004秋号 Vol.67 野村インベスター・リレーションズ

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