1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日新製鋼株式会社

真っ青な大海を目指して

第1高炉火入れ式

呉製鉄所の第1高炉火入れ式(1962年6月1日)。この日から日新製鋼は鉄鋼一貫メーカーとして新たなスタートを切った

完成した第1高炉

完成した第1高炉

鉄は、まず高炉で鉄鉱石の炭素を減らして銑鉄を作り、次に転炉や平炉で不純物を取り除いて最後に圧延工程で薄く延ばして製品にする。このすべての工程を一貫して行う鉄鋼メーカーを銑鋼一貫メーカーと呼ぶが、高炉を建設するには少なくとも100億円程度の巨額な投資が必要となるため、第2次合理化後の時点で日本には大手の6社しかなかった。日新製鋼は平炉以降の工程を行う平炉メーカーで、1959年11月に発表した長期計画もあくまでも実現可能な線を追求した平炉メーカーとしてのものだった。しかし平炉に不可欠な屑鉄の供給は不安定で、銑鉄の供給も一貫メーカーに依存せざるを得ず、生産量やコストなどあらゆる面で一貫メーカーの優位性は明らかだった。そのうえ一貫6社は、第3次合理化では新製鉄所の建設によってさらに支配体制を固めようとしていた。投資額を考えれば容易に決断できることではなかったが、業績が着々と伸びていたこともあって、日新製鋼はついに高炉の建設を決断した。こうして1962年5月、総工費90億円、1年4カ月の工事期間を経て高炉が完成し、6月1日に火入れが行われて、日新製鋼は銑鋼一貫メーカーとして新たな一歩を踏み出したのである。一貫メーカーとなってからの日新製鋼の歩みは順調で、90年3月期の決算では同社史上最高の経常利益586億円をあげた。「鉄冷え」といわれた90年代の99年3月期こそ23年ぶりの赤字決算となったが、2005年3月期には持ち直して過去最高益となる経常利益601億円を達成した。2002年には70年に新日本製鐵が誕生して以来32年ぶりの業界再編が行われ、そのなかで日新製鋼は新日本製鐵、JFEホールディングス、住友金属工業、神戸製鋼所と並んで、大手5社に名を連ねている。

瓦葺き木造50坪の小さなめっき工場がここまで成長した要因はどこにあるのだろうか。これまでの鉄鋼産業の歴史が証明するように既存市場で同業社が争えばお互いに自滅する。小野俊彦・日新製鋼現社長は、お互いの血で染まるレッドオーシャンを避け、真っ青なブルーオーシャンを行く、と表現した。「誰もやらなかったことをやる」という戦略である。現在日新製鋼の3本柱となっているステンレス、表面処理、特殊鋼は、すべてそうして培われてきた。日新製鋼の歴史は痛快な成長の物語である。そしてその物語は新たな展開とともに、まだまだ続いていくだろう。

ステンレスの表面にクリアコート処理を施したクリアコートステンレス

ステンレスの表面にクリアコート処理を施したクリアコートステンレス。着色も可能。表面処理とステンレスの技術を融合させた日新製鋼ならではの製品である

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IRマガジン2005年秋号 Vol.71 野村インベスター・リレーションズ

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