近藤社長が就任した1986年当時は、業界での売上高1位の座を守るため、過去の海外投資からの配当で業績を支えるような収益構造が続き、経済環境の変化への対応が完全に立ち遅れていた。近藤社長はこうした無意味な売上高競争をやめ、収益重視への転換を決断、経営革新を開始した。その具体的プランが諸橋社長に引き継がれたKプランである。「時代の変化に合わせた事業領域の選別」と「商社としての機能の高付加価値化」によって「商権構造の再構築」を図るもので、これに基づいて中長期に取り組むべき課題として、分社化・子会社展開の推進、事業投資活動の強化、内外拠点体制の充実などが次々に決定された。
MC2003の表紙
Kプランで始まった胎動は、バブル経済により一時中断され、槙原稔社長時代のバブル処理―再生―アジア通貨危機を経て、1998年から始まる中期経営計画MC2000、2000年からのMC2003に受け継がれ、三菱商事は再び変革への道程を辿り始める。佐々木幹夫社長就任の年に打ち出されたMC2000は「選別経営と戦略分野の強化」や「リスクマネジメントの強化」などを中心に、経営の構造改革のための総点検を行ったもので、ここで改革に必要なさまざまなポイントがあぶりだされ、より具体的な経営計画の足がかりとなる重要な課題も浮かび上がってきた。
MC2000の改革で注目すべきキーワードは、「事業投資活動」「戦略分野」「リスクマネジメント」である。かつて高度成長の時代には、日本の企業活動に、海外との仲介役として商社の役割は不可欠だった。成長過程の日本には不足している機能が多かったからこそ、総合商社の役割がそこにあった。しかし十分な経済発展の中で成長を遂げた企業に、不足部分は減っていった。企業は自前で世界と交流する力を備え、仲介役としてだけの総合商社の機能を必要しなくなったのだ。Kプランが目標として「商社としての機能の高付加価値化」を掲げたのはそのためである。三菱商事の果たす役割は「不可欠な価値」ではなく「高付加価値」となった。必要とされる役割を提供するのではなく、商社自らがニーズを発見し、高付加価値として提供していく。その具体的活動が「事業投資活動」だ。事業に投資する以上はリスクをコントロールするための「リスクマネジメント」が重要になる。そして、投資したプロジェクトのなかで有望なものを「戦略分野」として強化していく。
実は、こうした活動の萌芽は、冒頭に紹介した1969年のブルネイLNG開発プロジェクトにすでに見ることができる。化石燃料のなかでCO2 排出量が最も少ないとされる天然ガスを液化することによって、資源を持たない資源消費大国日本に、運搬可能にするブルネイプロジェクトは、ニーズの発見、事業投資、戦略分野としての強化という潮流を作り上げた最も早い段階での実例である。ブルネイプロジェクトがあったからこそ、三菱商事はいち早く変革への動きを開始することができたと考えられる。エネルギー分野は、現在の三菱商事のなかで重要な戦略分野のひとつとして位置付けられている。