チョコレート宣伝隊
キャラメル宣伝隊
合併して誕生した東京菓子株式会社は、国家への貢献に加え、食品文化の向上、栄養保健の増進、家庭での楽しみへの貢献など、消費者への奉仕を創業の精神としていた。この精神は「買う気でつくれ明治」という言葉とともに引き継がれている。顧客満足のために、新しい価値を提供する商品を追求し、それを、ネーミングからパッケージ、広告、プロモーションにいたるまで、優れたコミュニケーション手法によって市場に届ける。つまり「マーケティング全般に卓越した企業」という企業像が、現在まで一貫した明治製菓の姿といえるだろう。
宣伝やPRなどのコミュニケーション活動の重要性を、誰よりも認識していたのが創立の祖、相馬半治である。相馬は早くから新聞広告に着目し、フルに活用した。また、1921年に電車の中吊り広告を行い、1923年にはPR誌の草分け「スヰート」を創刊。その後、売り上げの増大とともに東京という特定地域の社名が実情に即さなくなり、1924年9月、明治製菓株式会社に社名を変更し、1926年にココアを発売して食品事業に進出。桃やミカンの缶詰のヒットに加え、国内初の缶入りジュースの発売などで、順調に発展を続けていった。
1938年には日本初の宣伝カーを起用、チョコレートやキャラメルを満載して全国津々浦々を走り回り、宣伝活動に新機軸を開いた。新聞各社はこれらの活動を記事に取り上げたため、宣伝効果はさらに増幅していったのである。