おなじみのキッコーマン製品
(*2004年7月現在の商品)
キッコーマンの欧米への輸出は、小規模には戦前にも行われていたが、本格的には昭和30年代(1950年半ば)からである。
米国最大のスーパー「セーフウェイ」のサンフランシスコ店に納入して間もない1956年、渡米した茂木啓三郎は、地元紙に「キッコーマンはオール・パーパス・シーズニングだ」という記事を発見して感激した。季節の意味から派生した“シーズニング”とは調味料の意味だから、「万能調味料」ということになる。啓三郎はこの事実を中野栄三郎社長に伝え、輸出用ラベルに「オール・パーパス・シーズニング」と記載するとともに、テレビ広告を積極的に展開した。「キッコーマン」のブランド名は西海岸に急速に浸透し、そのまま醤油(本来はソイ・ソース)の代名詞になった。
おなじみのキッコーマン製品
(*2004年7月現在の商品)
啓三郎は1962年に社長に就任したが、その前後、「デルモンテトマト製品」「マンズワイン」などの新事業を開始し、さらに醸造研究から生まれた蛋白質分解酵素「モルシン」をもとに医薬品事業にも進出して多角化を図った。
そして、東京オリンピックが開かれた1964年にキッコーマン醤油(株)に社名変更した。事業を多角化しても「醤油」の文字を残したのは、醤油醸造業の原点を忘れないためだと啓三郎は後に語っている。その精神は、世界100カ国で愛されるブランドに発展し、キッコーマン(株)となった今日も変わることはない。
ひたすら守られてきた本醸造をつくり続ける精神は、「特選丸大豆しょうゆ」などの製品に生かされている。
「キッコーマン」を育てた人々は数知れず、誌面に尽くせない。本記事では、個人経営の醸造家が集まって近代企業に発展した足跡をトレースすることに努めたため、登場人物を最小限にとどめたことをお断りしておく。