1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

キッコーマン中興の祖 二代茂木啓三郎

1919~1927年 時運ニ竿サスモノハ栄フ

野田プラント

大正14年に操業を開始した第17工場
(現・野田プラント)

会社組織になったといっても、各家には長年培ってきた伝統があり、一朝一夕には新組織、新体制に移行することは難しく、実態としては個人経営の集合体にとどまっていた。そのため、近代企業に脱皮するための障壁のひとつとして、労働問題に直面するのは当然の帰結だったといえよう。
大戦が終了した1918年には世界的に労働運動が高まりをみせ、日本でも各地で争議が発生した。景気は急速に冷え込み、米騒動が全国に広がるなど、社会的に不安定な時期にさしかかっていた。

野田醤油では、1919年に賃上げ交渉にからんで最初のストライキが起きた。1921年には正式に労働組合が組織され、その後、しばしばストライキが行われた。しかし、醤油の需要は順調で、製樽工場を新設し、1923年9月の関東大震災でも大きな被災を受けることなく乗り越えることができた。
このように事業規模が拡大してくると、一族中心の経営では立ちいかない状況が出てきた。そこで1924年に新しく野田醤油醸造(株)を設立し、これに野田醤油(株)、姉妹会社の万上味淋(株)、朝鮮・仁川にあった日本醤油(株)を吸収合併させたうえ、翌年、社名変更して「野田醤油株式会社」として、株式公開に踏み切った。
七郎右衛門社長は、会社の主義方針の訓示の中で「時運ニ竿サスモノハ栄エ逆フモノハ亡ブ」という言葉を掲げ、企業と社会との関係を説くとともに、近代企業への脱皮を高らかにうたった。設立と並行して第17工場が竣工、1927年には本店新社屋が落成、定年制、給与規定など諸制度を着々と整備していった。

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IRマガジン1999年6-7月号 Vol.38 野村インベスター・リレーションズ

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