1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本航空株式会社

1952~1954年 国際線運航開始

国際線開設当時のパンフレット

国際線開設当時のパンフレット
(1954年)

1952年にサンフランシスコ講和条約が締結し、7月には羽田飛行場が米軍から返還され東京国際空港となる。ノースウエストとの委託契約は1年で終了し、日本航空は9月20日、いよいよ自主運航を開始した。その頃、国際線運航開始に向けて日本航空を含む数社が免許を申請していたが、交付するのは1社のみとする運輸省の方針により、激しい競争が展開された。しかし「新日本航空株式会社法案要綱」が閣議決定され、国際線を担当する新会社を設立し日本航空を吸収させることとなり、問題は決着。1953年10月1日、日本航空株式会社法に基づく新しい日本航空株式会社が正式にスタートした。資本金は旧日本航空と政府の折半出資で、日本で唯一の国際線定期航空運送事業会社が誕生したのである。

機内サービス風景

国際線で初の日本調での機内サービス風景。着物でのサービスが好評を得た

1954年2月2日、東京―サンフランシスコ線を開設し、日本航空はついに国際線に進出した。週2便で運賃は片道650ドル(当時のレートで23万4,000円)。36人乗りDC-6B型1機につき30人の乗客を確保しなければ採算がとれないのは明白であったが、結果は2月中の1便平均有償旅客が6.6人という状況で、3月の決算では2億9,000万円の赤字を計上した。覚悟の赤字ではあったものの、海外旅行はまだまだ高嶺の花の時代だった。

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IRマガジン2002年11-12月号 Vol.58 野村インベスター・リレーションズ

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