1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

本田技研工業株式会社

1990年~ ホンダらしいホンダへ

順調に成長を続けているように見えたホンダだが、90年代に入ると国内販売が不振に陥り、急激な円高の進行とも重なって自動車部門は実質赤字へ転落した。こうした状況のなか、1990年に4代目社長に就任した川本信彦は大胆な改革に乗り出した。まず、役職や年齢を超えてワイワイガヤガヤと自由闊達な議論を通して、意思決定につなげるホンダ伝統の「ワイガヤ」から、個人個人の役割責任を明確にした即断即決型の意思決定システムへの移行を図った。形骸化していたSEDシステムを復活させ、販売、生産、開発の間に生まれていた壁を取り払った。顧客不在に陥っていたプロダクトアウトの開発を、マーケットインの開発にシフトさせた。

ホンダはもともと、ひとりの天才技術者と偉大な経営者が両輪となって走ってきた会社だ。藤澤という名パートナーがいたからこそ、本田の独創性は企業を牽引する力となりえた。しかし、ひとりの天才のDNAを大企業となったホンダが次世代へと受け継いでいくのは簡単なことではなかった。企業の規模が拡大するなか、曲解された形で残っていたDNAを、時代の変化に適合できる形に修正し、しっかりとした企業としての基盤を構築することが川本の仕事だった。独裁的とまでいわれたこの改革だが、しだいに功を奏し、やがて新しいホンダの原動力となるような車が生まれてくる。1994年10月にホンダ初のミニバンとしてデビューした、オデッセイである。

初代オデッセイ

初代オデッセイ(1994年発売)

当時のホンダには乗用車の生産ラインしかなく、ミニバンを作ることができなかった。しかしアメリカのマーケットを見ても日本のマーケットを見ても、もはやミニバンは不可欠だった。あきらめきれない開発チームはさまざまなアイデアを積み重ね、アコードのラインで作れるミニバンを開発した。それがオデッセイである。川本の改革は時としてホンダイズムの破壊といわれたが、オデッセイの開発チームが見せた、独創性とものづくりへの強いこだわりは、ホンダイズムそのものである。オデッセイは記録的な大ヒットとなり、96年のステップワゴン、2001年のフィットなど近年の大ヒットを生む原動力ともなった。ホンダは息を吹き返した。

フィット

フィット(2001年6月発売)

現在のホンダは、2001年以来、5期連続で過去最高益を記録する好調ぶりである。2003年に6代目社長に就任した福井威夫は、再び原点である現場・源流を見つめ、ホンダらしい独創的な商品を生み出そうとしている。企業組織としてのホンダは、川本の改革によって基盤が整えられ、その後吉野の時代にはグローバル化が加速するなかで、自主自立に向けたさらなるビジネス基盤の強化が図られた。その基盤の上に立って福井は改めて、本田宗一郎のDNAを企業の中心に据えた。ホンダフィロソフィーを企業活動の中心とし、現場の大切さとものづくりの源流を強化することの重要性を繰り返し語っている。ホンダは今、新しいHondaらしさを創り上げようとしている。

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IRマガジン2006年夏号 Vol.74 野村インベスター・リレーションズ

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