1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

株式会社電通 創業者 光永星郎

1901~1936年 通信業との併営~広告代理業専業へ

日本広告創立から4カ月後の1901年11月、光永は個人経営の形で電報通信社を設立し、念願であった通信業をスタートさせた。当時の通信社は、ほとんどが政党や政治家の機関的通信社であったが、光永が目指したのは、不偏不党で正確迅速なサービスを行う通信社であった。こうした特色は信頼を高め、電報通信社の業績は急成長を遂げる。電報通信社を創業して5年目、光永は事業の将来に確かな自信を感じ、通信業と広告代理業の一体経営化を決意。1906年12月27日、株式会社日本電報通信社(以下、電通と略記)を設立し、電報通信社をこれに吸収、次いで日本広告株式会社を合併して、本格的な電通の併営体制がスタートした。

社員記念撮影

創立10周年の社員記念撮影(1911年)

1914年(大正3年)7月28日、第1次世界大戦が勃発した。この大戦報道で電通は顕著な成果をあげ、通信社電通の声価を一挙に高めた。また日本は未曾有の好景気となり、広告の主力媒体である新聞の発行部数も増大して、電通の営業成績は急上昇をたどっていった。

しかし、順風満帆であった電通に一大転機が訪れる。1931年に満州事変が起こると、政府は日本の情報通信機関を一元化して国家的通信社を作る必要があるとして、当時電通とライバル関係にあった通信社、日本新聞聯合社と電通の統合方針を決定した。光永は強く難色を示したが、1935年5月、統合推進派は創立準備委員会を開いて新社名を同盟通信社と決め、11月、逓信大臣は設立を許可した。光永にもはや選択の余地はなかった。1936年6月1日、電通通信部門は同盟通信社に合流し、この日から、電通は広告代理業専業となって新発足した。

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IRマガジン2003年3-4月号 Vol.60 野村インベスター・リレーションズ

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