22 平安時代のガタガタなお金事情とは?
日本でつくられた最初の貨幣は、7世紀後半に鋳造された富本銭(ふほんせん)です。その後、律令国家が誕生すると和同開珎(わどうかいちん)を鋳造し、これ以後250年の間に12種類の銅銭を鋳造しました。これを皇朝十二銭といいます。
このころの朝廷が貨幣を鋳造した主な目的は、藤原京や平城京、平安京といった都を建設するための財源としてでした。政府は都をつくるにあたり、その必要物資の購入や労賃の支払いを、鋳造した貨幣でまかなおうとしたのです。また、12種類もの貨幣を次つぎと発行したのも、やはり国家事業を行う際の支払い財源として、ときに朝廷の権威を世の中に示すという意味からでした。
ところが、これらの貨幣は朝廷の思惑通りには流通しなかったようです。多くの人々は、従来通り、米や絹・布を「現物貨幣」として使いつづけたからです。
平安時代の中ごろには、国家による大規模な事業がなくなり、また銅の国内生産量が減ったことから、新しい貨幣の発行が行われなくなりました。人々は従来通り、米や絹・布を現物貨幣として使い、税もこれらによって納められました。『今昔物語集』には、金(ゴールド)を持っていても、一度それを米に交換しないとモノを買えなかった様子が記されています。