お金の歴史雑学コラム

戦国時代のお金はだれが発行していた?

日本で最初の金貨を作った武田信玄

平安時代の中期に銅銭の発行が中止されて以来、なんと600年もの間、日本で正式なお金は作られませんでした。
その間に人々が使っていたのは、平安時代初期の銅銭のほか、「渡来銭」と呼ばれる中国王朝から輸入した「宋銭」「明銭」などの銅銭や、それを真似して勝手に民間で鋳造された粗悪な「私鋳銭(しちゅうせん)」です。
現代の私たちにはちょっと不思議に感じますが、この数百年間、人々は政府が正式に保証したわけでもないこれらのお金を使って買い物をしていたのです。
もちろんお金の種類も品質もバラバラですから、どのお金がどれぐらい価値があるのかもわかりません。とりあえず使われている金属の質の良いものが、価値も高いと判断されていたようです。

こうした状況に変化が起こり始めるのが戦国時代でした。
日本列島全体で合戦が続いていたこの時代、戦国大名は戦いに勝つためにできるだけ多くの軍資金が必要になりました。金や銀の鉱石から金銀を精錬する技術が伝わったのもこの頃で、戦国大名は財源を確保するために金山・銀山の開発と独自の貨幣鋳造に積極的に取り組むようになったのです。1567年には金山の開発に熱心だった武田信玄が、日本初の金貨と言われる「甲州金(こうしゅうきん)」を鋳造しています。

領国貨幣

甲斐武田氏の領国貨幣
甲州金 16世紀後半
露一両金(左)と吉一分金(右)
(写真出所:日本銀行金融研究所)

金山・銀山を開発してどれだけ多くの軍資金を確保できるかは、戦国大名の軍事力を大きく左右する重要な要素でした。豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、伊達政宗など有力大名として名を残した人々はみんな、熱心な鉱山開発者だったと言われています。