1. 金融そもそも講座

第19回「必要な、国際的な監視の枠組み」

前回は日本も含めて世界の先進国が陥りやすい(政治家による)過剰な約束、過剰な財政の支出、それに伴う度を超した財政赤字の増加と危機について触れ、今の市場の不安定が、こうした状況の世界的な拡大に対する“市場の警告”であることを説明した。「ではどうしたら良いのか」というのが、前回の最後の文章だった。

既に始まった努力

この問題に関しては、既にギリシャ、ポルトガル、スペインなど“GPS諸国”、それに新たに登場したハンガリーなど問題国を抱えるEUを中心に、「問題を深刻化させないためのスキーム(枠組み)作り」が始まっている。EUはこれまで、金融政策と通貨政策のみを統合することを目指してきた。財政政策はGDPに対する赤字の割合には限度枠を設けてはいたものの、その枠内では各国の主権の問題としてそれぞれの政府に任されてきた。各国の政治家の選択は各国国民に任されているのだから、その政治家が行う政治の裏付けである財政は各国の裁量を認めなければならない、という考え方による。

しかしその結果、リーマン・ショックのような危機が発生するたびに、政治家は「無能だ」と思われたくないためにいろいろな局面で、時には度を超した、そして的外れな「財政出動」を行ってきた。その結果はGDPに対しての財政赤字蓄積であり、加盟国のほとんどが対GDP比で望ましいとされる赤字の水準を上回ってしまった。なかでも、対外借り入れ条件が厳しくなりつつあり、国民が持つムードとしても財政の健全化にもっとも消極的そうなギリシャがまずマーケットの標的になった、という経緯だ。

そこで今、欧州では、加盟国間でお互いの国の財政政策を監視し合おうという考え方が台頭してきている。まだ正式な合意を見ていないが、「相互監視」のシステムを作って、それぞれの国が簡単に財政赤字を膨らませられないようにしよう、その枠組みを作っていこう、という動きである。良い試みだと筆者は思う。監視があれば、もっと事前に市場から狙われそうな国が出てくるのを阻止できた可能性がある。将来的には「監視システム」を徐々に充実したものにして、経済運営に弱点が生じないように相互に政策を検証し合えるようなシステムにすることが望ましいと考える。

もっとも、“主権”に関わる部分までEU加盟各国が相互にどこまで監視できるかは疑問が残る。各国の首脳はEUが選ぶのではない。そのことは将来にわたってそうだろう。やはり国を率いるリーダーは、その国の国民が投票で選ぶ。とすれば、やはり将来を睨んでも今いえることは、「強制力のある監視」は無理だろうし、仮に勧告(例えば財政の支出が妥当なレベルを超えている、など)はできても、恐らく強制力は持たせられない。結局はEUの規制は効かないということになる。

その限界が見えているのにEUが「監視の枠組み」を作ろうとするのは、そうしないとマーケットが安心しない、市場の不安定さから脱出できないからだ。だから欧州には、ユーロの安定に一番重要な役割を果たすであろうドイツからも、「結局は無責任な国を強制することは無理」「最後はユーロを脱して自国の通貨に戻った方が良いのではないか」との意見も出始めている。

政治家と国民

日本や米国はEUのような枠組みに入っているわけではない。通貨も別々だ。しかし、EUが今やっているようなことは大枠としては国際社会全体が取り組もうとしている方向だ。6月の初めに釜山で開かれたG20の財務相会合では、「各国の財政政策を規律あるものにする方向性」が強調された。だから何かをしなければならないという強制力のあるものではないし、夏のサミットへの準備会合の段階での合意だから、世界の主要国の経済運営がどの程度影響を受けるのか、逆にいえば拘束力があるものかは不明である。しかし、方向性としては悪くない。やはり家計と同じで、借金のない家計の集まった社会、世界の方が健全である。借金漬けの家計の集まった街では、何か不穏当なことが起きる。

しかし、最後は「当該国の問題はその国の問題」である。世界中がギリシャを心配しても、ギリシャの国民しかギリシャの運命は決められない。周囲の国が例えばギリシャにこうしろああしろと言ったら、ギリシャの国民も気分は良くないだろうし、それはかつての帝国主義時代の「内政干渉」になりかねない。そこで、二つのことが非常に重要になってくる。

  • (1) 政治家は次の選挙での票が欲しいからといって、国民に安易な、財政の出動を伴うような約束、安請け合いをしない
  • (2) 国民も一時的な政治家の約束の裏を読み、甘い言葉をささやく政治家を支持しない姿勢を強める

今の先進国を見ると、世界中の国が財政の赤字をGDPに対して膨らませている。その面では世界中の国が財政赤字のレベルを懸念される状況にある。しかしその中でも「この国は心配だが、あの国は安心だろう」という差が出来るのは、マーケットが「この国の政治家と国民はある状況に立たされたときにどう行動するか」を予測している面がある。ギリシャには申し訳ないが、この国がマーケットからことさら心配されるのは、「問題に直面したときの統治能力」に疑問符が付いているからである。

例えばギリシャの公務員は人口比で見てとても多い。人口1113万人に対して、「100万人はいる」(ギリシャ政府は公務員の数は正確に把握していないとしているが、ほぼこの程度としている)としている。15歳から65歳までの労働人口を人口の半分強と考えても、ギリシャで働いている5人に1人が公務員ということになる。これは社会主義政府の時代があった名残とはいえ、異常に多い。ギリシャでは失業率も高いことを勘案すれば、その異常さは際立つ。そんな国をマーケットが信用するだろうか。加えての緊縮政策に対するデモ、スト(公務員も参加しての)などで国民の抵抗は強く、政府の財政緊縮策が実施に移されるかどうかも不明だ。

バラマキ

日本ではよく「バラマキ」という言葉が使われる。響きは悪いし、明確な定義もない。「国民の歓心を買うために政治家が効果のない政策でお金をばらまくこと」とでも一応はいえるだろうが、現実の政策がそのバラマキに当たるかどうかの判断は実は難しい。その政策を進めている政府や政治家は、それがバラマキであるなどとは決して言わない。効果を強調する。またその時の政府の懐具合とも関係する。何にせよ政府がお金を使えば、それは民間に流れるから世の中のお金の流れを潤沢にする効果はある。問題は、それが日本の長期的な繁栄の礎になる効果的なものなのか、それとも短期的な国民の歓心を買うだけの目的なのか、という点だ。

菅新総理になった民主党は、トップが変わった瞬間から、「子供手当の満額支給は無理」(長妻・厚生労働大臣)と発言を変えている。子供手当がバラマキかどうかの議論は別にして、民主党は日本の財政状況にかんがみて政策を変える必要性を認めて変えたということだ。こういう政策を変える能力があるかをマーケットは見ている。変わる能力がない国は市場から睨まれる。これを適切に行う為には、政治家がしっかりした現状認識と同時に、長期的な視点を持たねばならないし、国民もそれを判断する能力を持つ必要がある。

実は日本はギリシャの「対GDP比113%」などというレベルをはるかに超える財政の累積赤字を抱えている。政府の資産の数え方など複雑なので、正確にはどの程度とはいえないが、少なくとも150%は超えていると見られる。それでもギリシャのような危機にならないのは、日本人の保有する個人金融資産の規模がまだ国の借金を上回っているということと同時に、ドイツと同じように最後は国民が「財政赤字の膨張に歯止めをかけるだろう」と思われているからだ。

つまり、財政の赤字が限度を超えないようにするためには、政治家にも、それを選ぶ国民にも「健全な常識と規律」が必要だ、ということだ。それがなかったら、いくら他の国が支援しても、いくら国際機関から支援されても、その国は世界の市場から見放されてしまう。ここが重要だ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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