1. 金融そもそも講座

第78回「大陸的粗雑さ PART5」“量”は重要 / スマホの”粗雑感“

前回の「日本企業はボリューム・ゾーンが求めた“安い価格”に対応できなかった」の続きである。この表現は無論「総じて言うと・・・」という全体論にすぎない。個別の企業ではボリューム・ゾーンが台頭してきている世界経済を取り巻く環境の変化を感じ取って、自社の企業戦略の中に入れたところもある。しかし豊かな1億人以上が住む日本を本拠とする日本企業は、全体的に見れば「新しい時代」への対応が遅れたのである。

“量”は重要

読者の中には、先進国といわれた国々の人口は減っていないのだから、ずっと先進国の豊かな人々をターゲットに商売をすればよいのではないか」と考える人がいるかもしれない。それも一理ある。例えば、世界的な衣料や宝石のブランドショップは、もっぱら世界の中でも豊かな人々を相手に商売している。

しかし日本が得意とする工業製品は“突出した個性”がウリのブランド品とは違う。大量に生産し、大量に消費してもらうビジネスモデルだ。競争環境が厳しいうえに、加えて調達コストの問題がある。素材(鉄鋼や半導体など製品の材料)を売る側にしてみると、大量に買ってくれる方に値引きする。世の中どこでもそうだ。とすると、先進国に向けても途上国に向けても大量につくっていて、大きな仕入れをするメーカーに大きな値引きをする。

ということは、先進国の消費者向けに少量の生産をしていたのではそもそも「競争にならない」というのが実態だ。やはり“量”を握った国のメーカーが強い。だからボリューム・ゾーンは無視できないということだ。今の日本の製品群で同じようなことがいえるとしたら、それは例えば「スマホ」だ。日本のメーカーもつくってはいるのに、完全に韓国のサムスンと米国のアップルが支配する世界になってしまった。つい数年前までのモバイルの世界ではノキアとかリサーチ・イン・モーション(ブラックベリー)の2社に勢いがあった。それが激変した。変化の激しい世界なので、日本メーカーも数年後にはシェアを持っているかもしれないが、今は韓米の2社が圧倒的なシェアを持つ。

スマホの“粗雑感”

これは筆者の感想だが、工業製品の中でスマホほど“粗雑さ”を感じる商品は珍しい。どのメーカーの商品にしろ、どこかに不具合(使う側の不満)を抱えている。それはスマホを取り巻く環境、具体的には通信プロトコルの大きな変化、求められる機能の劇的な増大、使う電力量の増加とそれに伴う電池の持ちの低下など、問題が多くて挙げればキリがない。一番身近にありながら一番不満に感じる工業製品がスマホである。

今の世界では「スマホで稼げなければ家電メーカーとしてもうけられない」という実態がある。テレビではもうどこの会社でももうけは難しい。1インチ千円の世界になってしまった。数年前は1インチ1万円。40インチで40万円したテレビが4万円になった。40インチのテレビからすればマッチ箱程度のサイズのスマホだが、高いものでは7万円を超える。どっちがもうかるかは明らかだ。

それはテレビが“コモディティ化”したことを意味する。ところがスマホは製品としては粗雑な存在で変化の激しい製品であるが故に、まだコモディティ化を免れている。とにかく環境の変化が激しいため“完璧”をモノ作りの使命としていたような日本のメーカーにとっては対処に困る問題でもある。なぜなら世界の消費者はスマホを相対的に見たときの“出来の悪さ”を受け入れており、スマホでできる事の多さ、機能の高さにほれている。

対応した日本企業も

今の日本のメーカーは「過去の価値観」の中では安住できない環境にいる。しかししっかり対処できている日本企業も多い。エアコンのダイキンは“インバーター”という最新の技術を導入しながらも、日本よりはるかに安い価格でエアコンを中国でつくることに成功していて、日中関係の冷え込みの中でも業績を上げている。中国での販売商品は、日本で売っている高額なエアコンよりはほんの少しの粗雑さがあるかもしれないが、中国の消費者がそれを買うとなれば、そして同社のグローバルな業績が良いとなれば、それはよい戦略といえる。

筆者は、日本企業は日本の歴史的所産としての精緻な、完成されたモノ作りの文化を絶対に捨ててはならないと思う。中国でもベトナムでも、そして今話題のミャンマーでも、人々は徐々に豊かになる。豊かになればよりよいものが欲しくなる。そこにはいつも日本のモノが待ち構えている必要がある。それだけの価値を日本製品は持っているし、実際に今でも世界での評価は高いのだ。

しかし、大きな時代の変化の中で、途上国の人々がマスで豊かになる時代を待っているのは間違いだ。途上国はジグザグにしか成長しない。大陸的粗雑さのもう一方のメリットである、ニーズに合うだけの製品や安い製品もつくらなければならない。つまり大陸的粗雑さと日本的精緻さの両方がなければこれからの世界経済の中では勝ち抜けないのである。

今年の夏のシルクロードへの旅で得た思考を展開した今回のちょっと長い“大陸的粗雑さ”シリーズ。「今何が起きているか」について少しおろそかになった気もするので、次回からは“カレント”な問題に話を戻したいと思う。日本でもそろそろ新しい政権が生まれそうだし、米中ではもう誕生した。欧州も動いている。次回はそのあたりを・・・。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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