前回で触れた「日本製品の躍進」の背景を少し詳しく述べたい。それが明治維新以来の日本の産業国家としての躍進、そして現在でも世界経済に対して強い競争力を保持する理由であり、今後の日本経済を考える上でも重要だと考えるからだ。
対極の存在
のっけから私の主張の一番のポイントを出すが、日本は“大陸的粗雑さ”の対極にある存在だ。日本の製品はどれをとっても総じて精緻にできており、仕上がりはとても良い。前回、私が経験したと書いた米国車のようにライニングが微妙に曲がっていることもないし、家電メーカーのどの製品をとっても性能が良く、静かで(ここが重要だ)、かつ良い仕上がりをしている。日本のビルでは柱にひびが入っていることもなければ、「これはいかにも粗雑だ」と感じる建て付けもない。
道路を走れば舗装は繊細にできていて、ウズベキスタンのサマルカンドからタシケント間の道のような激しい揺れもない。新幹線(スペインのAVEの技術だと思う)も横揺れが激しくて飲み物をテーブルの上に置いておけなかった。海外を旅行すると、日本という社会全体が達成している、製品からインフラまでの仕上がりの良さに思いがいく。
日本製品の最大の魅力は、この「精緻さ」と「仕上がりの良さ」にあり、世界中の消費者はそれを評価している。日本に住む我々と大陸系の人々の感受性は違うが、一つの製品を手に取ってみるとその仕上がりの良さは一目瞭然である。私が見る限りアップルの製品はとても良い仕上がりをしているが、それは創業者であるスティーブ・ジョブズ氏が、大の日本製品、特にソニー製品、その創業の二氏(井深氏、盛田氏)のファンであることと深く関係していると思う。ジョブズ氏はウォークマンを初めて手に取ったとき、そのアイデアと製品の仕上がりの良さに「衝撃を受けた」という。
なぜそうなったか?
日本の製品がなぜ大陸的粗雑さと対極の、精緻で仕上がりのよいものになったのかについては、いろいろな説がある。私の考えをまとめると以下のようになる。
- 1. そもそも国民性が細かいことにこだわるほど繊細であり、例えば「曲がったキュウリは買わない」という感覚を持った人が多いし(善し悪しの議論はある)、何にでも日本人は高い水準を求める
- 2. 職人文化が高く評価される国で、手に職を持つ人を高く評価する風土がある。それは韓国や中国のように儒教社会で「教養と知恵」をことさら評価するのとは別の価値体系だ
- 3. 日本は海を隔てた島から構成される国であり、いつでも敵が攻めてきた大陸とは違い、他国、他民族から攻められることが数えるほどしかなく、「つくったものが残る社会」であった。それがモノづくりを盛んに、そして精緻にした
世界のほとんどの国に通じる話だが、日本以外の国の人々は値段との対比で「この値段だったらキュウリが曲がっていてもしょうがない」「車のライニングが少し曲がっていてもしょうがない」と考える。別に気にもしない人が多い。しかし日本人は自分が買う商品に関して高い基準を持っていて、「この値段でももっと良いモノができないのか」と考えるような気がする。
中国、韓国などに比べて日本では職人の地位が高いことを論じた本はいっぱいある。繰り返すが、儒教と科挙(官吏登用のための資格試験)の世界である中国や韓国は“知識”優先である。対して日本は使えない知識より“手に職”という価値観があり、小学生の「将来は何になりたいか」の調査でも、具体的な職業(大工さんとかケーキ屋さん)が上位にくる。これは他国にはない興味深い傾向だ。なにせ日本では総理という最高位にいた人が、簡単に「轆轤(ろくろ)を回す職業」に就き、それを周囲も特に不思議に思わない国だ。それは政治家の業績より、職人が作ったものがきれいに残り、人々に受け継がれてきた国だからこその話だ。
世界で躍進した日本製品
そのような国でできたものは、所得が高く成熟した社会では高く評価される。世界中のそうした社会に住む人々には、「やはり良いモノは良い」と判断される。やや高くてもそれを購入する購買力があるからだ。戦後の欧米と日本が中心の先進国が他の諸国(共産主義の国々や発展途上国)に比べて際立って生活レベルが高かったときには、先進国の消費者にウケがよい製品となって売れた。
戦後日本の貿易収支の構造を見ると、1973年とか1979年の石油ショック後のごく一時期を除いて、見事に対外貿易収支が黒字だった。この黒字が今の異常な円高を招いたというデメリットはあった。しかし、このエネルギー資源の少ない国がほぼ終始一貫して貿易収支で黒字を稼いできたということは、いかに日本の製品が世界中の消費者にアピールし、それを買う人が多かったかの証拠だ。日本製品を買う消費者がいなければ、石油の9割以上を輸入している日本が貿易収支の黒字を出せるわけがない。
テレビなど一部の製品では「以前ほど日本製品の魅力は高くない」という意見もあるだろう。確かに世界の家電製品販売店をのぞくと80年代、90年代ほど日本製品は圧倒的な地位を占めてはいない。だがその種の製品を生産・出荷している国の数が少ないことを考えれば、日本の立ち位置には強いものがある。その背景となっているのはやはり、「日本の製品は全体に優れている」という世界の評価だ。
しかし、物事には必ず二面がある。強みが弱みに変わる要因・局面を次回は指摘したい。(続)