嫌いな言葉としてのバブル
「バブル」とは嫌な言葉だ。昔から使うのが嫌いだった。人類の知恵をあざ笑うような響き、自嘲的な趣がある。「人類はなぜそんな過ちを犯すのか」ということに対してあまり反省がないし、繰り返し起こる現象に対して人間が無力であるかのように聞こえるのがまた悲しくもある。誰かが会話の中でその単語を使うことによって、他の人の繊細な会話を一言でオーバーライドしてしまうのが嫌なのだ。
だから日本で盛んに「バブル」という言葉が使われた90年代でも私はそれを使わなかった。その言葉を使うことによって起こる“思考停止”、そしてその追認が嫌いだったのだ。もっとも筆者は、「100年に一度(の不況)」も使わない。本当に多くの人が言うが、誰もこの言葉が誰から出たのか、誰が言ったのかを検証しない。この言葉は間違っている。なぜなら、その言葉を最初に使ったとされるアラン・グリーンスパン(前FRB議長)は、正確には「a once or twice a century event」と言っているからだ。2008年8月4日のフィナンシャル・タイムズに寄稿・掲載されている。しかしこの言葉を「100年に“一度”」に日本ではちぢめてしまった。それは違うだろう、と私はずっと思っている。
人々が心の底で「こんなのはおかしいのでは」とほんの少し思いながら、「今回の相場上昇には特別な理由がある。乗ってしまえ。乗らなければ損する」と考えてしまう、持続的・かつ大幅な相場上昇とその後にくる急落が人類の歴史の中で繰り返し起きてきたことは確かだ。それを「バブル」と「その崩壊」と呼ぶなら、それは存在したし、今後もおそらく起こるだろう。「人類は決して学ばないのか」と言われそうだが、人類にとって歴史は積み重なるが、一人一人の人生はせいぜい90年だ。皆、子どもから人生を始め、大人になって色々なことを学び、やっと世の中が分かった頃には人生を終える。土地の値上がり値下がりに対する感度が高くなるのには時間がかかる。だから、人類は決してバブルから逃れることは出来ないのだ。
主役は土地と不動産
人類が経験したバブルと呼ばれる現象は、大部分は株式か不動産を巡って起きている。日本のケース(80年代)もそうだったし、リーマン・ブラザーズの破綻につながった米国のバブルも大きくは不動産絡みだった。株は公開市場で流動性高く、資金が集まり始めたら大きく上がるという性格があり、不動産には長い人類の歴史の中で“所有の対象”として人々がもっともあこがれ、事実、富を生んできた実績がある。人々は何かといえばこの二つへのあこがれを高めるのだ。
むろん、歴史を見れば1637年のチューリップ・バブルのような、対象が球根といった珍しいものもある。当時のオランダでは、人々がオスマン帝国から輸入されたチューリップの球根に異常なまでの熱意を示し、法外な高値がついた。しかしその後、ある時から価格は100分の1以下にまで下がり、オランダ諸都市は大混乱に陥ったとされる。「踏んだから潰れてしまった」ことに気がついた人がいたからともいわれるが、ややこっけいな話だ。また、バブルは絵画で起きることもあるが、これらは極めて珍しいケースだ。
1980年代後半に起きた日本のバブルは、日本の人口の既に四分の一の若者にとっては体験ではなく、伝聞、さらには学校で習ったことであるだろう。このサイトの読者の多くもそうかもしれない。しかし40代以上の日本人にとっては強烈な残像で、今のデフレ経済も当時の記憶へのアンチテーゼとして存在するようなものだ。株価は毎日のように高値を更新して、1989年の12月末には日経平均が40,000円に接近した。不動産の値上がりはもっと激しく、当時取引に関わっていた人々の経験談を聞くと、午前中に買われた不動産がその日のうちに2~3割値上がりして、次の買い手に売却されたという。まさに狂乱列島だったのだ。
そうした事態が起きた背景には、いくつかの理由があった。
- (1) 80年代初めのインフレ高進時代を経験した後、一般物価が落ち着いた中で低金利時代が続いたため、この低い金利を背景にした借り入れで不動産や株に資金が回った
- (2) 貿易赤字に悩む米国の日本に対する内需拡大要求を受けて、財政政策を中心に内需喚起的な経済政策が行われ、これが不動産購入を伴う公共事業につながった
- (3) 「不動産は下がることはない」という一種の信仰に近い考え方が国民の間で強い中で、企業も個人も不動産を先行取得しようとした
- (4) 円高で海外投資の損失が重なる中で、為替リスクがない国内株式への機関投資家の投資が続いた
などなどだ。80年代の後半には、株を買わない人、不動産を所有しない人は変わり者と見られる風潮さえあった。また、「借金しても株や不動産は買い」という経済行動が法人にも個人にも広く見られた。個人は競って住宅ローンを組んで住居を買い、法人は含み益を増やすとかいろいろな名目を付けて銀行融資を組成して不動産を買いまくった。銀行など金融機関の積極的な融資姿勢もこうした風潮を加速した。
バブルはなぜ生まれるのか
しかし「過ぎたるは及ばざるがごとし」と「山高ければ谷深し」のことわざの通り、人々の手が届かないほど上がったものは、必ず下げに転じる。もう誰も後について来なくなっているから当然そうなる。
90年代に入ってからの株価や不動産の急落は、日本経済に深刻な打撃を及ぼした。株価や不動産が急落しても、それを買うために残った借金(住宅ローンや企業の借入金)は多くの場合、利子付きで額面通り残ったから、個人でも法人でも“債務超過”(資産を借金が上回る)が続出した。今までの借金をバックにしての消費がなくなったからモノが売れなくなり、消費が落ちたことで生産やサービスへの需要も落ちて、日本全体の経済活動が低調になった。いわゆる「バブルの崩壊」と、その後の不況だ。しかもこの不況は長く続いた。残った借金の返済義務が尾を引き、経済活動の足を引っ張り続けたからだ。
バブルがなぜ生成するのかについては、いくつもの説があり、各ケースで背景も異なる。しかし一つだけ共通していることがある。背景にはいつも“過信”があるということだ。自分が買っているモノは絶対に価値がある、だから上がり続けるのが当たり前だといった過剰な自信がバブルを生む。低金利だったり、好景気だったり、背景や理由はいろいろあるが、バブルには必ず、投資する側の過ぎた自信が伴っている。
過信は社会の多くの人々の間で共有され、それが社会的熱狂にもつながるから、その期間中人々はしばしば酔っていて幸せである。今でも50代、60代の人の中には、「バブル時代は良かった」という人がいる。それは社会全体で酔っていたことが心地良かったからだ。確かに当時はある意味、楽しい時代だった。人々の目にも活気があった。今のさめた時代に比べれば郷愁があるのはうなずける。
しかし深い酔いが翌日の激しい頭痛につながるように、バブルの後遺症はしばしば社会全体を大きなショックに陥れる。それが問題なのだ。楽しく酔える時間は短いが、二日酔いの時間は長い。今の日本の景気の悪さにもそうしたことの後遺症を感じる。
ではそのバブルをどうやって見分けるのか。次回はそれを取り上げる。