1. 金融そもそも講座

第102回「中央銀行への依存を強める世界」

世界中で「景気対策は中央銀行頼み」という状況が強まっている。どの国でも財政が大幅な累積赤字状態で、対GDP比での赤字割合の大幅アップとなって、景気対策としての財政発動の自由度が落ちてきたためだ。日本と米国では「ゼロ金利」「非伝統的な量的緩和」を含む“超”金融緩和状態で景気浮揚を図ろうとしているし、今まで「0.5%」という比較的“ビジブル”な金利を保っていたECB(欧州中央銀行)もゼロ金利に近い「0.25%」に政策金利を下げた。過去に世界経済がこれほど「中銀依存」になったことはない。

赤字の累積が背景

世界中の「経済」の教科書にはおそらくこう書いてある。「ある国が経済を浮揚させようとしたら一般的には二つの政策を使える。一つは国が積極財政を打って需要を喚起する財政政策であり、もう一つは中央銀行が金融を緩和し資金の借り入れコストを下げることで投資を促して景気を浮揚する金融政策だ」と。しかし、日本ではすでに「財政政策」という言葉の使用頻度は著しく落ちた。筆者は戦後の育ちなので、特に昭和の発展期にはちょっと景気が悪くなれば「政府は財政発動を検討」と頻繁に耳にしてきた。しかしこの言葉、最近は全く聞かない。

理由ははっきりしている。国のお財布に余裕がないのだ。日本の財政状況を見ると、90兆円前後の一般予算の半分に近い分が国債発行による借金だ。これは常識的に見て「行き過ぎ」といえる。国の財政政策は民間需要が落ちたときに経済の総需要を喚起するために政府がお金を公共事業(道路、橋、公共施設の建設・・・)などに使うものだ。しかし、その原資は借金以外に頼るすべがなくなってきている。

日本の歴史を振り返ると、景気が落ち込んだときに政治は必ずこの財政出動を行い、一方では日本銀行に金融緩和を要請して、この両輪で景気の下支え・反転を先導してきた。しかし「両輪」などということは滅多に言われなくなった。それは日本の財政の累積赤字が進行して、よく国際機関などが使う表現でいう「GDPの100%以上にすでに達している」からである。

一般家庭でも企業でも、収入(国の場合は歳入)よりも支出(歳出)が多い状態が続いて、どこかからの借り入れでしのいでいる場合には、いずれ貸し手から「もうこれ以上は無理です、返済をお願いします」と催促される。個人の場合は破産、企業の場合は破綻・倒産という事態に発展することもある。

国の場合には、個人や企業のような“借金の強制終了”の仕組みはない。監視している人も少ない。個人や企業が借り手の場合には、銀行など監視役がいっぱいいる。しかし国は、国民やマーケット(債券発行)から借りているので、その貸し手があまり渋い顔をしなければいくらでも借金を積み上げられる。今までの日本だ。

強まる金融政策依存

最近になってようやく書店に「日本破綻」「日本国債暴落」などのタイトルの本が並ぶようになった。筆者の見方によればこれらの本は危機をあおる類のものが多いが、実際に日本政府の借金が多いのは事実だ。国際機関も警告を発し、国民も懸念を示すようになった。

政治も「(国の)借金問題」を真剣に取り上げなければ選挙民から許されない状況になって、選挙でも大きな争点になっている。「借金を減らすためにはどうしたらよいか」という観点から、消費税を上げるという話にもなった。しかし財政を巡る状況はとても厳しく、「景気悪化→即財政出動」などと以前のようにはとても動けないのである。だから、経済政策の一方の旗頭としての財政政策は出る幕がなくなっている。

これは世界の先進国共通の問題といってもよい。民主主義の最大の欠点は、投票権を握っている国民の要望に政治家が時に安易に寄り添おうとすることである。福祉や景気回復や雇用の創出までいろいろだ。そうしないと政治家は国民から見放され、票が対立政党に奪われてしまう。これは「民主主義の罠(わな)」といえる。

だから、どの国でも政治家は経済危機があると国の経済力、財政力の限度いっぱい、時にはそれを上回る「借金による財政出動」を行ってきたのである。その結果、EUでは財政再建で厳しい緊縮策を余儀なくされる国が出てきたりするし、米国では財政再建を巡って政府機能の一部停止にまで発展する激しい政争も起きた。日本も消費税を上げるにあたっては、大きな政治的変化があった。

依存には負の側面も

当然「それでは」と注目されたし、頼りにされたのは中央銀行が責任を負うもう一方の「金融政策」である。どの国でも「中央銀行の独立性」は程度の差こそあれ担保されているが、財政がなかなか発動できない現状では、国民や政治家の期待はなんといっても中央銀行に集まる。

日本のアベノミクスは「三本の矢」(財政政策、金融政策、成長戦略)からなっているが、財政政策はすでに書いたようにもともと弱体化しているし、まだ成長戦略でこれと言った目玉がない現状では、「(金融政策の)一本足打法」と言ってもよい状況だ。その分だけ日銀を率いる黒田氏が注目されることになる。米国でもFRB(連邦制度準備理事会)の議長が今のように一般人から注目されるようになったのはつい最近になってからだ。

しかし財政政策と金融政策には大きな違いがある。財政政策は公共事業に携わる企業やそこに働く人に直接的に国のお金が支払われ、どちらかと言えば国の隅々の産業が直ちに活性化する。即効性があるのだ。対して、今のようにそもそも資金需要があまり強くないときの金融緩和は、「大胆な金融緩和→株などの資産価格の上昇→消費の増大→景況感の向上→企業投資の増加→雇用増大」といったように、かなりの回り道を余儀なくされる。つまりここでは資産価格の上昇が景気浮上の大前提になるということだ。

日本のアベノミクスでも、まず大きく上がったのは株価だった。あっという間に2倍になった。その段階では株を持っている人しか恩恵にあずかれない。彼らがお金を使ってデパートなどの売り上げが伸びたことは確かだが、株が上がったからといって例えば高級時計をいくつも買う人はいない。その消費の増加が「商店の売り上げ増→製品製造の増加→雇用の増加と賃金の増加」とつながり、それが循環しないと金融政策がもたらす景気回復の輪はうまく回転しないことになる。

マーケットの危機は今の世界では比較的短いインターバルで起きている。リーマン・ショックは記憶に新しいし、その前にも危機は繰り返しあった。その度に世界各国は財政を出動してその手段を使い果たし、今は金融政策に頼っている。しかし金融政策も万能ではない。回りくどいし、その間には資産を持つ持たないで「格差拡大」という問題が起きる。また、緩和が量的・質的に行き過ぎるとインフレ高進のリスクもある。世界的な中銀への依存の高まりは、一方で世界各国が取り得る政策余地の減少を指し示している。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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