1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

株式会社豊田自動織機 始祖 豊田佐吉翁

1933~2002年 紡織機製造から事業領域の拡大へ

豊田自動織機製作所は1933年の自動車部門の設置と同時に製鋼事業にも着手、以後、織機・紡機・自動車・製鋼の4部門で発展を遂げる。現在の姿である、コングロマリットの片鱗をうかがわせるようになるのはこの頃からだ。
戦後は、GHQ(連合国総司令部)が輸入を認めた米、小麦、綿花、石油、塩などの支払いとして行う見返り輸出用に、織機800台の生産命令を受け、これを契機としていち早く紡織機の製造再開を果たした。これ以降、1950年から1951年にかけて豊田自動織機製作所の紡織機生産は未曾有の活況を呈するが、朝鮮戦争が終結すると反動不況の影響で一転、紡織機生産は減少を余儀なくされた。

S型エンジン

S型エンジン

LA型(初のフォークリフト)

LA型(初のフォークリフト)

こうした状況に対処するため、経営の合理化が行われ、経営近代化へ向けての動きも始まった。それとともに、将来に備え、新事業、新分野への進出の準備が進められた。その手始めとなったのがS型エンジンの製作である。
1952年、トヨタ自動車工業の小型自動車に搭載するためのS型エンジンの生産を開始し、1955年、奇しくも最初に自動車部門が設置された日と同じ9月1日に、車両関係事業を扱う車両部門が設置。S型エンジンは商用車トヨエースに搭載され月産2,000台を生産する盛況ぶりであった。
一方で、このエンジンを利用した各種新製品の研究も進められ、フォークリフトの製作が始まった。1955年4月に1号車が完成して以来、フォークリフト事業は著しく成長し、現在は世界No.1のシェアを獲得するに至る。
また、車両部門の発足と同時にエアコンの研究も始まり、やがてカーエアコン用コンプレッサーの製作が事業として立ち上がった。1959年にはトヨペットクラウンへの搭載を目的に列型3気筒のCC3型コンプレッサーを開発。「いかに冷やすか」に始まった研究開発は、電子制御化、高効率・省燃費技術などを向上させ、1997年には生産累計1億台を突破した。海外での展開も拡大し、フォークリフト、自動車組み立てと並ぶ事業にまで成長してきている。
こうして、豊田佐吉翁の自動織機の発明から始まった繊維機械製造会社は、時代の要請に応えた事業領域の拡大によって変貌を遂げ、大きく成長していくことになる。

グローバルプレーヤーとしての羽ばたき
現在の豊田自動織機は、自動車部門、産業車両部門、繊維機械部門、エレクトロニクス部門などを擁する、いわば多角経営の巨大企業。そして、ますます激化するメガ・コンペティションに備えた経営戦略を打ち立て続けている。

BT REFLEX AC

BT REFLEX AC
(座席型リーチフォークリフト)

2000年6月には、産業車両部門において、世界的なM&Aを実施し、屋内用フォークリフト分野で世界トップシェアを誇るスウェーデンのBTインダストリーズ株式会社を完全子会社化した。外国人従業員が一気に約7,500人も増え、連結ベースの従業員数だと約半数を外国人が占めるという状況だ。従来から世界的に確固たるポジションを築いてきたカウンターバランスフォークリフトにBTインダストリーズ社の商品を加え、グローバルな視点で世界の顧客ニーズに応えられる体制を確立、世界のトップシェアの座を築いている。
一方で、1956年のフォークリフト発売以来、開発・製造は豊田自動織機、販売はトヨタ自動車という連携のもと、フォークリフトやその周辺の物流(ロジスティクス)システム事業は発展を遂げてきた。2001年4月、豊田自動織機は、トヨタ自動車のL&F(ロジスティクス&フォークリフト)販売部門を譲り受け、自社内に「トヨタL&Fカンパニー」をスタートさせた。競争が激化するなか、トヨタグループとして、開発・製造・販売を一貫して豊田自動織機が担うことによって、世界No.1の総合物流機器・システムメーカーとしての地位を盤石にするという狙いが、そこにはある。
こうして各事業がそれぞれに発展を遂げ、2002年の世界シェアは、エアジェット織機39%、フォークリフト25%、カーエアコン用コンプレッサー38%と世界トップを誇る。さまざまな異なる事業を手がけながら、世界でトップシェアを握る製品を3つも持っていることは驚異である。

株式会社豊田自動織機という企業に、日本の希望が見える思いである。

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IRマガジン2003年夏号 Vol.62 野村インベスター・リレーションズ

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