1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

帝人株式会社 大屋晋三

1918~1956年 大屋晋三の復活とポリエステルの導入

大屋晋三は、1918年、東京高商(現一橋大学)を卒業するとすぐに鈴木商店という新興の商社に入社し、1925年、その関連会社である帝人の前身、帝国人造絹絲株式会社に派遣され1945年に社長となった。しかしその2年後、1947年に参議院議員に当選して政界に進出。翌年、吉田内閣の商工大臣に就任して社長の座を退いたあと、大蔵大臣、運輸大臣を歴任し、1956年、斜陽化する帝人に社長として復帰した異色の人物である。

帝人を立て直すべく社長の座に戻った大屋が最初に打った手は、ポリエステル繊維製造の技術をイギリスのICI社から導入することだった。戦後、大屋はいく度となく外遊し、世界の化繊メーカーを視察した結果、化繊界の将来を制するものはポリエステル繊維であると確信していた。この技術の導入に、大屋は異常なほどの執念を燃やしていたのである。
ICI社からの技術導入は帝人と東洋レーヨンの2社が共同して行い、かつそれぞれが企業化することと決定した。東洋レーヨンはすでにナイロンを開発して合成繊維の技術に豊富な経験を持ち、その利益によって潤沢な資金を擁していた。その東洋レーヨンとまったくの同一条件で技術導入を行うことは、帝人にとっては大きな冒険であり、社内からも危惧の声があがっていたが、ここでポリエステルの導入に失敗すれば帝人にもはや将来はない。また東洋レーヨンに、ナイロンに続いて化繊界の将来を担うと目されていたポリエステルまでも独占されることは、企業として自殺行為に等しかった。東洋レーヨンに伍してポリエステル繊維を企業化することは、帝人にとって至上の命題であった。

ICI社ウィルトン工場

ICI社ウィルトン工場を視察。右は東レの代表者たちとともに約1時間半ほどの見学の際、機械の配置とそれに関する所見をまとめた報告書 大阪)

board

IRマガジン2001年3-4月号 Vol.48 野村インベスター・リレーションズ

  1. 前へ
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 4
  6. 5
  7. 次へ

目次へ