1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

株式会社リコー 創業者 市村清

1962~1975年 いち早くデジタルへ

リコピーDT1200

デミング賞受賞の原動力、リコピーDT1200

1975年の経営方針発表会で、当時専務の山本巖が日本で初めてオフィス・オートメーションを提唱し、77年のハノーバーメッセでその概念を世の中に打ち出した。現会長の浜田広は、社長だった当時、ディーラー・ミーティングの席上で「これからはOAの時代だ」と話したことがある。マスコミでもOAという言葉は使われていなかった。オフィス・オートメーションもOAもともにリコーが世の中に発信した言葉であり、概念であった。
創成期のOAをリードしたのが、1975年2月に発売された小型普通紙複写機(PPC)「ニューリコピーDT1200」である。PPCの分野ではゼロックスが基本特許を持っていたためリコーは出遅れたが、DT1200は基本特許の期限切れに加えリコー独自の技術を活かした湿式のPPCとして開発、半年で2万5,000台という驚異的な売り上げを記録し、PPCの分野でも、リコーは台数シェア1位の座を獲得した。

OAのほかにもうひとつ、リコーが時代に先駆けて着手していた技術がある。デジタルである。73年、リコーをリーダーとする日・独・米の共同プロジェクトが、世界初の一般事務用量産型デジタルファクシミリ「リファクス600S」を完成させた。
当時事務用ファクシミリはアナログしかなく、A4判の原稿を1枚送るのに6分かかっていた。リファクス600Sは、書画情報の読み取り、データ処理、伝送、記録、システム制御のすべてをデジタル処理するもので、A4判の原稿1枚の送信時間を、一挙に1分にまで短縮させたのである。リコーのデジタル技術は大成功を収めたが、デジタル技術の実用化は、じつはその10年以上前に実現していた。1962年、リコーは加入電話回線を使ってデータ通信を行う装置を2機種発表していた。世界初の音響結合方式のモデム「リコープリンターフォン」と、通信速度50bpsのデータ送受信装置「リコーミニター」である。これは日本の通信業界に波紋を呼び、加入電話回線がデータ送受信のために開放されていくひとつの契機となった。感光紙、カメラ、複写機を主体としてきたリコーは、ここから、まったく未知の分野であったデジタル技術へと進出していくのである。

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IRマガジン2002年9-10月号 Vol.57 野村インベスター・リレーションズ

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