1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

新日本製鐵株式会社

1990年~ 鉄の新しい時代へ

釜石の火が消え、90年代に入ると、半導体を中心とするIT(情報技術)関連分野が産業の花形となっていった。そんななか、鉄鋼業界を激震が走った。1999年、日産自動車のカルロス・ゴーン社長が鋼材調達先を入札制に切り替えたのだ。いわゆるゴーン・ショックである。鉄鋼各社の激しい価格競争が始まり、鋼材価格は国際価格をはるかに下回る水準となってしまった。この頃世界の鉄鋼業界では、国際競争力を強化するために統合による業界再編が進展しており、その後国内でもゴーン・ショックをきっかけとした過当競争を避けてマーケットの健全化を図ろうと再編の機運が高まっていた。

2002年9月、NKKと川崎製鉄が経営統合してJFEホールディングスを設立、新日本製鐵は同年11月に住友金属工業、神戸製鋼所と包括提携して鉄鋼業界に2大グループが出来上がった。新日本製鐵誕生以来32年ぶりの鉄鋼大再編である。この再編によって、業界の技術的進展はもちろん、資源の共有化により各社設備の効率的活用が期待でき、設備改修の際のロスもカバーし合えるようになる。また、新日本製鐵は海外でも、技術のスタンダード化と国際的な信頼関係を構築するためEUのアルセロール社(粗鋼生産量42.8百万トンで世界第1位)、韓国のポスコ社(粗鋼生産量世界第5位)と提携関係を結んでいる。
世界の粗鋼生産量は90年代までは7億トン前後を推移していたが2000年代に入って急増し、2003年は9億6,250万トン、2004年には初めて10億トンを超える見込みとなった。こうした生産急増の背景には、中国を中心とした東アジアの好況があり、鉄鋼業界はようやく活況を取り戻しつつある。しかし、業界が激変する真っ只中である2003年4月に、トップのバトンを託された三村明夫 ・新日本製鐵社長は、そこには問題もあると言う。「製品需要の増加が光の部分とすると、それがあまりにも急激なために原料の供給能力をオーバーしてしまって、原料価格が高騰するという影の部分が出てきています」。こうした影の部分に対して、新日本製鐵では原料確保のための長期契約などに加え、低品位原料を使うなどの技術開発に取り組んでいる。もっとも、原料不足に対する危機管理は今後とも必要であるとしながらも、三村社長の見通しは明るい。

合弁会社設立

中国の宝山鋼鉄との合弁会社設立の基本合意

「私たちが輸出している製品は非常にハイエンドのもので、特に自動車鋼板については日本のメーカーはトップクラスの技術を持っている。こうした製品に対する引き合いは今後ともきわめて強いと予想できます」。新日本製鐵は中国・上海の鉄鋼メーカー、宝山鋼鉄と合弁会社を作り、2005年5月から中国国内で自動車鋼板の生産を開始する予定だ。ただし、「海外メーカーと比べて日本の設備投資水準は高く、研究開発投資や技術力も日本は海外の水準よりはるかに上をいっている」という理由から、あくまでも日本の生産設備と立地を最大限に活用しながら世界に鉄を供給していくことが基本だという。新日本製鐵もこれまでに事業の多角化を試みたことはあった。
しかし今後は、日本の産業発展の底力ともいえる鉄をコアとしたビジネスに再び集中していくという。
日本の経済史のなかで、鉄は成長のシンボルであった。活況を取り戻した鉄鋼産業が、再び日本経済のシンボルとなることを期待したい。

board

IRマガジン2004年夏号 vol.66 野村インベスター・リレーションズ

  1. 前へ
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 4
  6. 5

目次へ