八幡製鐵と富士製鐵の合併をスクープした毎日新聞1968年4月17日付朝刊の第1面
1968年4月16日、富士製鐵の永野重雄社長は大阪での所用を終えて、次の出張先の徳島に向かうために大阪空港へ車を走らせていた。忙しい一日で、車には毎日新聞と日刊工業新聞の記者が同乗し取材が続けられていた。取材の途中、ふと、永野社長は八幡製鐵との合併の可能性をほのめかせた。記者は色めき立った。それが真実ならば、突如として世界屈指の鉄鋼メーカーが誕生することになる。八幡製鐵の稲山嘉寛社長に打診して確信を得た毎日新聞社は、急遽、翌4月17日付朝刊の1面トップでこの大スクープを報じた。
同日午前9時45分、稲山社長は東京・丸の内の八幡製鐵本社で記者会見を行い、年内にも合併手続きに入る用意があることを発表、さらに5月1日には両社社長が共同記者会見を開き、両社の合併方針を正式発表した。当時、世界No.1のUSスチール社と肩を並べることから「世紀の大合併」といわれた、新日本製鐵誕生劇の幕開けであった。