上椎葉発電所や苅田発電所の運転開始によって、九州電力の需給状態は1955年前後からようやく安定し始めた。その後も神武景気、岩戸景気などの好景気を背景に需要は増加を続けていたため、電源の開発は引き続き行われた。特に原子力では、75年に全国で9基目の原子力発電所として玄海原子力発電所が営業運転を開始、84年には川内原子力発電所も営業運転を開始して、2003年度には年間発電電力量868億kWhのうち47%を原子力発電で賄うまでになっている。エネルギーの安定供給の確保、経済性、環境への適合などを総合的に勘案したバランスのとれた電源構成は同社の強みとなっている。
日本最大の地熱発電所、八丁原地熱発電所(出力11万kW)
また、九州電力の大きな特徴のひとつに、火山帯を利用した地熱発電の開発がある。地熱発電はマグマに熱せられて蒸気となった地下水でタービンを回して発電するもので、化石燃料をまったく使わず、発電時にCO2を排出しないクリーンな発電方式である。九州電力は67年に電力会社としては国内初の地熱発電所となる大岳発電所の運転を開始、77年には国内最大の地熱発電所、八丁原(はっちょうばる)発電所の運転を開始した。現在、九州では5カ所の地熱発電所が稼働し、合計で20万kWを超える発電能力を有している。
拡大する電力自由化を伝える新聞記事
(日本経済新聞2005年1月5日付)
1951年の電力民営化の際、電力の鬼・松永安左エ門は「電気事業の自立なくして、今後の日本の復興の因である電力需要にどう応ずるのだ」と発言し、電気料金の値上げを断行した。この値上げは各界から反発も大きく、安左エ門のもとに脅迫状が届くこともあった。しかし、これによって電力会社の株価は回復し、海外からの資金も導入され、日本の電力事業の礎が築かれたのである。こうした思いを受け継いだように、九州電力はいち早くさまざまな電源開発に取り組み、急増する電力需要に応えて産業基盤の形成に貢献してきた。しかし、2000年に電力各社は大きなターニングポイントを迎えた。電力の自由化が始まったのだ。さらに2005年4月からは、すべての高圧受電の顧客が自由化の対象となり、2007年4月以降は、一般家庭向けを含む全面自由化の検討が開始される。価格やサービスなど、商品としての「電気」の質が問われる時代が到来しているのだ。
電気の安定供給、経済性、環境問題への対応など、電力会社の果たす社会的責任は大きい。それに加えて、今後は収益性の確保など企業としての責任もますます増大してくる。これまで先駆者として試練の道を歩んできた九州電力の動向は、日本の電力会社の進むべき道を示すひとつのモデルとして注目に値するものである。